南の島に雪が降る

筆者が演劇紛いの劇団とは名ばかりの集団を率いていた頃、
しばしばこんな言葉を耳にした。

「私演劇観たことないんですけど、どんなことしてるんですか?」

筆者の如くガキの自分から芸能や芸術を
娯楽として生活に取り入れてきた人間にとっては驚きであった。
とはいうものの、上記の言葉を発す皆様も日々メディアに触れ、
映画館に年に数度は足を運び、雑誌など活字媒体を読み、
漫画本の一冊も所持し、好きなミュージシャンの一人(若しくは一組)は
いることとは思う。
筆者のような趣味=娯楽でもない方々でさえも
触れるであろう日本…いや世界中がそうなのかもしれない。

何も芸能・芸術に限らず、賭け事、スポーツ、習い事、飲酒やグルメ、
井戸端会議に至るまで、プライベートと称させる時間を
娯楽で非生産的な埋め方をしていると云える。

「これってなんだろう?」

生命体の本分は「遺伝情報の子孫への伝播」である。
と本欄で常々書いてきた。
そして
その結果は様々な基準があるにせよ、
「遺伝子の繁栄」を成功と決めていると考えている。
そのために出来るだけその一つ一つの遺伝子が延命し、
その発展や繁栄に一役買っていくことを目的としていると決めている。
「基準は様々である」と書いたが
これはあくまで内容に関したことで、
形式だけ取り上げれば間違いなく数の増加をもって「繁栄」と云えるだろう。
その数として人類は繁栄し続けているのに対し、
他の繁栄していない生命体は娯楽なんてあるんだろうか?
たぶんないですわな。
例えば
局所で大量発生した動物なんかは
間引きしないと食糧が枯渇して良くないと聴く。
人類も地球という惑星ではすっかり手狭になってしまったのだろうか?
だから間引きの変わりに娯楽なんだろうか?

いやいやいかんいかん
ここまで書いて気が付いたが
「娯楽と人間」について筆者の考えを書きたいのではない。
目的と違う。

娯楽はおそらく人間が生きていくという辛い作業を忘れるためだか、
そういう目的で作られていると思われる。
少なくとも筆者にはそうだ。
筆者のように抽象的だが弱い人間にとって娯楽に触れ、
一時でもその辛さから逃れる作業をしないと生きられない。
つまりはその辛さ、生きていくための辛さは人類普遍のモノであり、
娯楽はいつの世も人々を愉しませ、
その辛さを応急処置的に緩和させるモノであると云えるのかも知れない。

本作はそういう映画だ。

と思う。人間に娯楽は必要である。
文化レベルの高い、教育レベルの高いと称われる日本だから
娯楽があると思ったら大間違い。貧困の中でも娯楽は存在するし云々…
本作の主題は間違いなくそれだろう。

でもね。それだけじゃないんだ。ちょっと支離滅裂だけども

昭和19年、日本の敗色が濃厚となったニューギニア前線。
飢餓とマラリヤの恐怖の中で日々を送る兵士たちの唯一の慰めは、
演芸分隊が催す芝居の数々だった・・・。

とにかくメンバーが凄い
加東大介伴淳三郎有島一郎西村晃森繁久弥渥美清
フランキー堺…なんだいこりゃ。
彼らが三流の役者を演じるんだから凄い。凄すぎる。
本作のもう一つ特筆すべき点は筆者は「アラビアのロレンス」以外に
知らないオール男性キャスト。
しかしね。まるでそれを感じさせない。
男が集まるといつも女の話なんていう下世話な感じとは違うのだ。

違うくないか…
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