好嫌 10月22日(水)
私は何かを嫌いになったことがない。
私には嫌いという言葉がない。
全てが私の基準で決めた
「好き」か「どうもでいい」かであり
「好き」と決めたものは普遍である。
「どうもいい」ものは「好き」になる可能性のみ
を有し、嫌いになど成らない。
どうしたかは解らない。
単に言葉の問題だけならいいのだが
どうもこれは特殊な様子。
私は好きになった人が口にした言動は
常に継続するために良くするためのそれである
と理解する。
暴言と思えても、瞬間的な怒りはあっても
本質的にその人を好きなのだから
信じている。関係や現状を良化するための
発言であって、諦めや終焉を意味するものでないと
信じてしまう。
それは良くないと言わればそうかもしれない。
その内「良くなるよ」というのは
あまり好きではないが、結果を急がないだけなのだ。
だが結果を早く、より早く望む人が多いのかな?
そんな気がする。根拠はないけど。