1980

1980 [DVD]
1980年わたしは幼稚園児だった
幼稚園児のわたしは体が弱く、現在と同様お喋りな嫌みな
ガキだった。

しかしまあそんなことは関係ない。

今年のお正月にテアトル新宿に「1980」という映画を見に行った
単に初売りを体験しに、新宿に足を運んだのだが
人の多さにげんなりして、映画館に入った。
テアトル新宿のある靖国通りの並びに伊勢丹のメンズ館が
建立されており、曲がりなりにも男性のわたしは
ちょっと足を踏み入れた。

おいらの中で女性がたくさんショッピングしている様は
そんなに好きではないけど、消化されており
まあ頷けるのだが
男性が犇めいてるのはちょっと驚くし、恐怖を感じちゃう。
高校時代、トイレで鏡をたまに見るのが楽しみだったわたし。
何もおしゃれの為じゃない。
だけど、みんなが“おしゃれ”のために鏡を見ている
見ているのは同じだが、
みんなが鏡を見て学業に風紀に支障を来すとの判断から
学校側は校内のトイレから鏡を全面撤去を決定した。
あの時の感覚に似ている。

さて1980
昨今雑誌やメディアで
「1980年代のサブカルチャーがスポットライトを浴びており、にわかにブームである。」
と読んだり、見たりした。
「1980年代は好景気だったし、不景気と謳われる現在の日本には憧れなのだ。」
とか
「いい時代だった」
とか
「歴史は繰り返すと言うが、巡り巡って知らない世代にも影響を及ぼしている」
だとか・・・

わたしが疑問なのはわたしが幼児の頃、
おじさん、おじいさん、おばさん、おばあさんは
美空ひばりさんと石原裕次郎さんをカリスマ的に愛していたイメージがある。
私の幼児の頃は1980年代であるから、20年という月日が経過した。
しかし、未だにおじさん、おじいさん、おばさん、おばあさんは
美空ひばりさんと石原裕次郎さんをカリスマ的に愛している
イメージが払拭されない。
実際には誰もそんな風には思っていないのかもしれない。
ずっとローリングストーンズは流行している様に感じられるのも
不思議だ。どれだけの年月が経っているのだろう。
それだけみんなが愛しているのだろうか?本当にそうなのかな?

前述のお三方がわたしにとって嫌悪の対象というわけではない
寧ろ好きであるが、わたし程度の“好き”な人は多くても
絶大なるファン層は少なくなっているのではないのかな?
実際判らないがどうなのだろうか?

最近TVなんか観てると思っちゃうのは
視聴者のニーズよりもスポンサーのニーズに応えるのが
TVなんではないかということ。
仕事なんだから、お金を出してくれる人に合わせるのは
ごく当たり前のことだろうと思う
例えばCMを観て何となく頭の中にスポンサーの商品が
残ることはあるけども、CMを観て直接店に買いに行くという
行動に移したことは割と少ない。
どちらかというと、
「この会社はCMをやってるくらいだから、安心できる企業だろう」
と思い、買うと言う決断をすることはあるかもしれないとは思う。
CMをうつくらいの有名企業という安心感を視聴者に与える為の
宣伝だとしたら、あんまり番組の内容は関係ない。
関係ないとも言い切れないけどね。
だって観たいと感じるような番組でなければTVをつけない人も
いるだろうから、強ちそうは言い切れない
でも、わたしなんかは何のきなしに観てるから
関係ない人がいるのも事実だろうな。
調べて、番組を厳選してる視聴者はTVをコンスタントに
観る手合いだから、色々詳しいだろうから、この人達はマニアであり
彼らはVTRに録画してCMを飛ばして観てるかも知れないし
オンタイムで観てるならば、一般視聴者よりもCMに触れる。
と仮定も可能だ。

大きな視野で観れば、視聴者が買ってくれるからスポンサーになれる
とも云えるが、逆にCMを打ったから売れるようになるとも云えるでしょ?ってことです。この場合どっちが先かってことは判らないけども

ただわたしはニーズにTVが応えているのはあくまでスポンサーに対してで
視聴者はそれを観て好きか嫌いか判断してるだけの様に見えちゃうのです。

昨今雑誌やメディアで
「1980年代のサブカルチャーがスポットライトを浴びており、にわかにブームである。」
と読んだり、見たりした。
「1980年代は好景気だったし、不景気と謳われる現在の日本には憧れなのだ。」
とか
「いい時代だった」
とか
「歴史は繰り返すと言うが、巡り巡って知らない世代にも影響を及ぼしている」
だとか・・・
と前述した。述というモノに非ずだが・・・・

1980年代のサブカルチャーの立て役者は現在40代の皆様でしょう。
かれらが社会的に中心的な立場になり、文化においても中心になり
それらを同年代のスポンサーと共に発信してるのが
あくまで先であり、其れを観て視聴者は好きか嫌いか判断している様に
思えちゃう。

しかもこれは先ほどのスポンサーの商品と一緒で
メディアに取り上げられている安心感を判断しているに過ぎなく感じるのだ。
「安心は出来ますよ」
と判断する人が多いから“流行”と呼ばれてるのだろうかね?
だったらあんまり興味はない。

最後に書くと生きてきた年代的にわたしは詳しくはないけど
1980年代のサブカルチャーが好きである。
でも別にその時代に思春期を謳歌したわけではないので
浅はかな憧れのような“好き”であり、それは
知識や論理の裏付けよりも先に洗脳にも似た、すり込みが存在している
ように感じる。それはそれで良いと思う。
個人としてはそこら辺納得してるし、いいんだろうなって思う
でもなあ何か全体の流れは厭なのだ。

1980年代のサブカルチャーって何でもありだった気がする
違うのかも知れないけどそういう印象がある。
その感じに、この流れは合わない気がするんだ
“甘い”考えなのかもしれないけど、
生理的に受け付けないんだからしょうがない。
すいません。

たぶん1980年代のサブカルチャーは今現在も
1980年代のサブカルチャーであることを意識してはいないと
信じたいんだ。それだけなんです。

 1980 http://1980-movie.jp/