ムシタイダン【蟲籠】について

インターネットという媒体を利用して、コミュニケーションをとるようになって早くも5年ほど経過した。
日常生活で抽象的だが「面白い人」と遭遇することの多いわたしでも
インターネットを介して知り合った面々は楽に面白さを感じることが出来るから
とても良いと思っている。
普段の生活において、その人の魅力に迫るのは複合的要因により難しいと言わざるを得ない。
生活に関わっている人は生活というとてつもなく大きな問題に入り込んでくるわけであり
どうしてもなかなか内容に着手しにくいのである。
其処の處、ネットでサイトを設けていたり、わたしのサイトを見て興味を持ってくれた人は手っ取り早い
此方の漠然とした自己基準を示すのも楽であるし、相手のも掴みやすい。

そんなこんなで色々経過していく内に徒党を組んだかのような状態になり
ポータルサイトと銘打って初めてみたのが堕蟲網家頁なのだが、
上記したような目的というか状態での関わりを好むことから
どうもこの徒党という人間関係はあまりいい状態だとは思っていない。
結局人間関係は一対一なのだと思うからである。
集団を集団としてやらなくちゃいけない場合も人生にはあるだろう。
しかしこと友人関係はそういったことはあまり必要ない。
特に私には。
わたしはどうしても一対一の関係を望んでしまう。
だから「○○の彼女」とか「○○のお姉さん」とか言う関係は苦手である。
あくまでその人個人と関わりたくてネットなんぞやっているのである。
集団を作るのは目的と違う。
「でも言ってることとやってることが違うんじゃないの?」
と言われそうだが、堕蟲網家頁はあくまでわたしの個人的な基準で人選している。
「わたしは友人が多いんだ。羨ましいだろ?」
と言ってるわけでは全くない。(21人は多くないか・・)
そうではなくて、
わたしが面白いと思う個人を紹介したくて立ち上げたのである。
その証拠に全く関わりのないジャンルの人もたくさん加入している。
ちなみにわたしとも友人という関係すら未だ行ってない人だって居る。
“紹介”なんぞと書いたが、実際にはそれも一寸違う。
そうだなあ。どちらかといえばコンピレーションアルバムみたいな括りである。
わたしのフェイバリット・ベストなのである。
席亭として寄席を組んでいるのとも似ている。
プロデュースは大袈裟だけども。

わたしの基準で私が紹介する興味深い人たちの窓口なのである。
其処で考えた。
わたしはわたしの興味深い人たちと対談という形式で
話してみようと。
一対一で話すことでもうちょっと堕蟲網家頁の存在が明確になるかも知れない
単なる“徒党”ではないという存在意義が

もちろんわたしにとってですがね・・・

堕蟲網家頁→http://www.virusdust.net/
ムシタイダン【蟲籠】→http://www.virusdust.jp/chudoku/mushi/