ムシタイダン(仮)改め 蟲籠 第二回 三上慎弌

収録日4月2日(上野恩賜公園不忍池http://www.densetsuko.co.jp/camera/

未明から降り続いた雨が昼過ぎにはすっかり上がり、“花見”を対談場所として希望していた三上慎弌(http://www.propaganda.jp/)の願いが叶う形になった。恐らくほぼ満開に近い上野公園で櫻を見ながらの対談。

三上 俺なんかこんな見た目チャラチャラした感じだから事務所にいると、アシスタントみたいな扱いを受ける。でも「ディレクターです。」、って云うとみんな面食らうね。それは面白い。
痲酔 その感覚は解るね。おいらなんかもそう。「30です。」って云うと退くね(笑)逆にね。二十歳くらいの頃の方がおっさんだったよ。二十歳くらいの頃の理想のおっさんを演じてた。でも現実は甘くないから、辛くなったときにどっち行くかだよね。理想的なおっさんを諦めるのは一緒にしても、おいら達みたいに「じゃあ形式はガキで良いや。内容頑張れば」ってなるか、現実的なおっさんのが楽だとしちゃうか。
三上 だからまあ恐らく40になっても痲酔ちゃんも俺もあんまし変わんないと思う。

三上は露店でビールと豚串を買って不忍池の畔に腰を掛けた。弱冠25歳の彼はとある企業と契約を結び、"トラック製作"に携わっている。責任者を任され実質的にナンバー2のポジションにある。私は常々
「三上慎弌は職人である。」
と常々思っている。職人と聞くと"昔気質"であり、"頑固親父"でありというイメージがとかくつきまとう。しかしいつの時代も職人はその時代のニーズに答えてきているから存在する。時代に合わないモノを作っても誰も相手にはしない。一方裏腹に職人のライフスタイルや人格などと作品が結びつかない場合も往々にしてあるだろう。例えば"頑固親父"の性分は現代には合わない。"頑固親父"という突っ込み所満載のキャラクターを見せるドギュメンタリーは受けるかもしれないが、頑固親父の身近な周囲の人間は堪ったものじゃない。いつの時代にもいえることであろう。しかし、頑固親父の腕により、我々人類は抽象的だが"良い製品"の供給を受けてきた歴史がある。頑固親父自体はその"頑固"という気性難故に扱いづらいが、製品を産み出すという特殊性により欠かすことが出来ない。"産み出すこと"ができるから、"許される"という部分も事実あるだろうが、その気性自体が製作過程に培われた孤独感であったり、製品と違い受け入れられにくい己との摩擦により生まれたものであれば魅力的である、と前述のドギュメント同様私は考える。更に頑固親父当人にとっての基準が"製品を産み出す"という行為に対する評価を最優先としていると決めつけてはいるモノの当人に言わせれば「とんでもない」となるのかもしれない。当然現代人として己主義も内在するのではないか?製作のみを追い求める孤独な作業とオリジナリティ至上主義の狭間で職人には葛藤があるだろう。その葛藤を三上は過剰に表現する。音楽製作という形ではなく、言動という我々にも解りやすい形で、現代にライフスタイル共々フィットした職人像を提案してくるのだ。彼が良くも悪くも有象無象の集団の蟲に所属している意義は想像するよりも大きい。現在彼はすてれお喫茶という"ポップス"というジャンルのバンドに所属している。

<すてれお喫茶について>http://www.propaganda.jp/st/
痲酔 驚いたよ。バンド(すてれお喫茶)大変なんだよね?
三上 辞めたね二人。俺も吃驚した。
痲酔 何が原因なの?原因なんて聞いてもしょうがないけど…
三上 なんだろうな。(沈黙)若い者は潔癖って事だよ。
痲酔 潔癖故辞めたの?
三上 じゃないかね。何かこうさあ、堅いんだよ考え方が。状況を受け流せない。其処にあるものを認められないんだよね。まあそれは俺の解釈でしかないけどね。バンドとしては違うのかも知れないけど…
痲酔 (笑)そういう真面目な意見なの?
三上 自分の立ち位置とか居場所とかそういうレベルで悩んでる。俺らとは無縁のさ。「若いなあ」ってさ。若いけどもでも思い悩むのも嘘じゃねえ、事実だしね。
痲酔 表現として的を得ているか解らんけど、「あるだろうな」という想像はつくよ。そういう一般的な、そうだとすればね。しかもそういうの好きだよ。
三上 でもさ抽象的なんだよ。どうしたいのか解らないんだよ。潔癖だけど…あれだ!高校卒業する時やりたいことないけど、「ここではない何処かへ」的なあの感じだよ
痲酔 GLAYの歌みたいな
三上 そうそう(笑)そんな感覚を受けたんだけど、否定は出来ないし…俺よりもバンドマンっぽいし
痲酔 (笑)芸術家っぽいね。でもね。人生成り行きだよ。
三上 彼らは真理とか本質とかそういうのを追い求めてる訳ですよ。でもそのギターの子うちのバンド辞めて、事務所でアシスタントしてる。やりたいことがあるって辞めたのにわけわかんない。何処に転がるか解らんよ。
痲酔 あっそう(笑)。でもそういうの好きだけどな。解るけど(自分には)そういうのないからな。まあ無いから外から見て解りにくいってのがあるのかもしれないけどな(苦笑)。変な話しね。見に行くでしょ?そうするとストリートでゆずの真似っこみたいな人がいる。でもライブハウス行ってもそういうのが多い。○○のミニチュアみたいなね。
三上 そういうバンドのが人気在るよね(笑)。
痲酔 まあ時流だからそう手が多いんだろうからな。でもライブハウスに足を運んだという特典は無いですよね
三上 「OBSCURE FIRM(http://www33.ocn.ne.jp/~kivori/obq/obq.nocage.html)」以降俺もアヴァンギャルドに走ったけど、今モードとしてはポップだからね。正攻法でねじ伏せたいね。

三上との記念すべき初遭遇は蟲メンバーでもある桟虚嬢と組んでいた「OBSCURE FIRM」というバンドのライブ会場であった。今思うと私にとって「OBSCURE FIRM」は衝撃であった。三上という職人と桟虚という芸術家が一瞬の交わりを見せ、見事なグルーブ感を産んでいた。たった一瞬の出来事だったにせよ、衝撃である。職人と芸術家の関係の危うさをわたしは垣間見た気がする。お互い無いモノを認めあえれば、これほど良いモノはないかも知れない。しかし人生観やライフスタイル、思想が一度クラッシュすれば戻ることなどありえない。人生は一期一会であると言うが、正にそれだろう。偶然道ですれ違った二人が同じ方向に向き合おうとするなんてことが世の中にはありえるのだということを知った。それ故解散はショックであった。桟虚と三上、両名に抗議のメールを送りつけたほどの入れ込みようであった。

三上 実力のある人がその正攻法を避けてるように思うんだよな。「自分は解ってるよ」って言う人が避けてるんじゃないかって。穿った意味でもなんでもなくて、ある日ふとそう思ったんだよ。「ポップスはつまんない。」ってのは人がやってきた音楽に対する評価でしかない。自分が演るに当たっては関係ないだろうに…
痲酔 「すてれお喫茶」を観た時に、ポップスの中でおいらは焦臭い、表現が正しいか解らないけどその手が好きなのね。でもその手とも違う。かといって爽やかな所謂現代に評価されたポップスとも違う。それがもの凄い良かったな。気持ちよかった。
三上 コンセプトとしてはそういう"提案"だよね。そういうの演っていきたいんだけどね。まあ客の反応は少ないね。
痲酔 そりゃしょうがない(笑)。そりゃ三上氏しょうがないですよ。観てる方はそこまで考えてないもの。
三上 同じ曲やるにしても説得力は必要なの。判断のテーブルには挙げたいんだよね。パワー感がないんだよ。
痲酔 なるほど。だけど、テーブルに押し込んでもね。解るかどうかって云ったらね。疑問は残るよね。
三上 でも判断のテーブルに載せないと新しいものは駄目だよ。載せたいね。
痲酔 だからアヴァンギャルドのがいいんだ
三上 そうなんだよ。センシティブだしね。目立つし、フックが出やすい。
痲酔 それは悪い風習だと思うよ。悪い方が真似しやすいもん。
三上 こっちはクオリティの話してるのにね。見栄えの噺をされるとがっくり来ちゃう。
痲酔 評価が欲しいんだろうな。おいらはそういうの全くなかったな。
三上 今日も新しいギター(奏者)が来るので、ゆっくり音だしていきたいよね。四月にライブあったんだけど断ったし。暫く手間係るんじゃない?みんなロックやりたいんだね。
痲酔 そりゃそうだ(笑)。どんなにクオリティの高い内容よりも爆音の方がインパクト在るし、説得力在るし、伝わるしね。良いことだと思うよ。「叫んでなんぼ」みたいのおいらは好きだね。
三上 だから否定できないんだよね。自分の基準で頭ごなしに否定したってしょうがないし。「解るよ」って思ったら負けだよね(笑)。さっきの辞めたギターがアシスタントになったことは悩んでる。やっぱり同じ共同体で同じ目線の奴が急に下になってさ。戸惑ってるな。
痲酔 おいらなんか逆に下の奴が上に行っても気にならないけど…
三上 俺もそれは気にならないけどね。逆は駄目なんだ。
痲酔 上の人も下におべんちゃら使わせやすい状況を作らないといけないしね。確かにな。現実的にはおいらも出来ないかもな。
三上 そうでしょ。まあ俺自身は腹くくればいいんだけど、例えば内のボスが普通のアシスタント使うように彼を使うでしょ?そういうのにドキッとしちゃう。
痲酔 対策としてはその状況を暴露してギャグにしちゃうか(笑)「前は同じ目線だったけど、今は上下があって笑えるね」とか、ぶっちゃけちゃうとか。そういうドギュメントをギャグにしちゃう。
三上 そこまで開き直った方がいいのかもしれないな…
痲酔 まあ現実的には難しいですよ。個人個人の性質もあるし。結局状況判断だろうな。メンバー募集してるの?すてれお喫茶は続けてもらいたいね。っていうか続けて貰わないと。
三上 先があるバンドだと思うんだよね。でも"フック史上主義"ってのがあるよねってことで
痲酔 そうね。異議な〜し。
三上 俺もフックはあるんだ、外にも内にもね。でもそれを出すのは恥ずかしいんだ。だから北京とかじょにいさんとか凄いなって想う。だけどさ。北京は俺の年になって普通にスーツ着てたらぶん殴ってやろうかなって思う(笑)
痲酔 それは間違いなくある。間違いなく北京はスーツ着てるだろう。おそらく・・・
三上 ピーク感でやってるのかね?
痲酔 おいらも「いつか北京に見捨てられるんじゃないか?」って疑念はありますよ。まあでもそういう目には散々あってきてるからな。慣れてるけどさ(苦笑)。
三上 俺に"フック"という楔を打ち込むのはじょにいさんと北京だね。
痲酔 (北京とじょにいのことが)嫌いなの?
三上 好きなんだと思う。
痲酔 こないだ、じょにいと三上氏の対話を聞いててそう思った。好きなんだなあって。おいら個人としては面白かった。加納おりえ先生とおいらだけだろうな面白かったの。おいらも二人は好きですよ。気になる存在だよね。良いモノを作りたいという感覚は感じないな。

3月1日a2cのバンド「シェロ」のライブに共に足を運んだ。ライブ終了後同様に足を運んでいた蟲の面々で呑み会を催したのだが、その場で酒のせいもあろうが三上氏はじょにいにくだを巻いていた。じょにいは良くも悪くも目立つ手合いだ。三上はその華を何処かで羨望している。だから華を出し惜しみしているじょにいが許せないのかも知れない。それが彼の言うところの"フック"であるのかもしれない。彼は現代に作品だけでなく、己もフィットさせたい、という願望の現れであろう。
「芸術家にはなれまい、でも職人でもエンターテイメントの片棒は担げるかも知れない。」
その可能性を追い求める三上の意気込みからするとじょにいは苛つかせるのである。
「俺が幾ら努力しても手に入らないモノを持っているのに何故だ」
という苛立ち。しかし三上はその発言とは裏腹に見栄えも大切にしていると思う。彼の現代的なファッションや言動などをみてそう感じる。しかし"作り手"としては形式よりも内容だろう、という思想が彼の人生をかけた基準であり、その一点において私は彼を職人気質と決めている。とどのつまり「一流シェフに旨いと言わせる料理を作るか」「大衆が好む味を追求するか」ということだ。両方やるのが理想だが、現実はこうして書くほど生易しいものではない。ファッションや言動は彼にとってあくまで道具に過ぎない。形式だけ整っていればいい。だが、音楽は違う。内容なのだ。もっと云えば形式という道具を使い、内容をどう盛り上げるか?と自問自答するのが職人であろう。だから"頑固親父"は製品の品質を守るために周囲に小言を言い、凡そ非常識とも思える罵詈雑言の数々を並べる。その環境という道具をより現代的にアレンジして単なる"頑固"を破壊し、新たな職人像を構築していこうとしている様に私には映る。単に迎合という形式に頼ったものではないからただ事じゃない。

痲酔 おいらは不精なんですよ。解る奴だけで良いやってなってしまう。でもその感じを北京からは感じないな。
三上 ピーク感も大事だけどね。
痲酔 全体的に良くも悪くもアドリブ至上主義だからな。小泉総理大臣とかTVで見てると、「凄いな」って想うし。北京は頭がいいから周りはみんな莫迦に見えちゃうだろうな。
三上 解るけど、それは原因じゃないんだよな。
痲酔 昨日じょにいがまた「俺がやり玉にあげられてますね」って云うから、「お前の人生なんて知ったこっちゃない」って言い返した。でも「お前はどうだってよくないだろう?」っていう噺だよって(笑)。
三上 じょにいさんに限らず50,60になって酔っぱらって「こんなもんじゃなかったのに」とか云われてもなあ…
痲酔 それもまた格好いいよ。おいらは人の人生より自分がどうにかならないといけない。三上氏も(仕事)始まったばかりで大変でしょ?
三上 職場にいるとずっと苛々してるね。結局それだけがロックンロールじゃないって思うんだよね。生き方としてね。
痲酔 もっといえばロックンロールじゃなくて構わない(笑)。まあロックだって云うならそれはそれでもちろん構わないけどね。でも今日の噺は「現代に合わない己」に対する愚痴みたいなもんだ。こっちの方が良いんじゃないの?って云ってるだけなのかもなあ。あっちのが現代的だと言われたら、それまで「はい!お終い」ってことなのかね?
三上 でもさ現状ではなくて、その各人のアプローチでしょ?その先々を決めるのはさ。今後から生きてくるかは才能だの運だのが関わってくるから解らないけど…
痲酔 才能なんてね。言い訳ですよ。ゴーギャンだ、ゴッホだなんて、生前全く受け入れられてないでしょ。でも現代では見事に天才で通ってる。当時は時代に合わない人だったんでしょ?己に関して言えば才能のあるなしなんて考えたこともないですよ。
三上 みんな才能というバロメーター好きだよね。
痲酔 現代にも見事にフィットしていて後々残るってのを才能というのだったら、手塚治虫先生ですよ。あそこまでいかないと"才能"とは云えないんだったら、無いよ大抵の人には。じゃあ無くていいし、考える必要もない。
三上 日常会話に繋がってこないよね、そこまでだったら。才能を証明するために数字とか使うの好きだよねみんな…
痲酔 でも「数字に左右されない」って口にするものもあんまりな。良い了見とは思わない。
三上 口に出すとね。「流行に左右されない」って言うものちょっとね(笑)
痲酔 そこら辺はどうでもいいよ(笑)。おいらはもっと小さな空間で現実的に生きてるからね。
三上 カメラ廻ってるとやる気でるのかなあ?
痲酔 じょにいはまさにそれだろうね(笑)
三上 それだと哀しいな。ここにはいない全国民に対してなんか求めてるってことなんだろうし。

三上は「哀しい」と発言しているが、これはじょにいに宛てた発言だけではなかろう。恐らく己に対する叱咤激励であるのかも知れない。
「フックを出さなきゃ行けない。でも出来ない。だからって俺は間違っているのか?」
ズバリ言えばその真偽は私には解らない。だがその葛藤こそが三上の揺らぎであり、蟲に居る意義であり、最大の魅力である「職人の新スタイルの提案」に繋がる。そのバランス感覚・・・いや「バランス感覚は大切だ」と気がついた職人の真骨頂である。揺らぐ葛藤を持ち、バランス感覚を獲得しようとする職人は良くないと私如きは思ってしまう。江戸時代は文盲が沢山存在した。算盤なんざあ出来ない人はごまんと在っただろう。そのせつな職人が文字を書けたり、計算なんか出来ると
「あいつは職人の癖に文字をかけるらしい。だから腕が悪いんだ」
とか
「あいつは算盤なんぞやるから、勘定が高けえんだ」
と罵られたはずだ。現代でもそれは変わらない。しかし、三上はそれにめげない。そう思われるのは百も承知であろう。「偉そうに」と揶揄されるのは目に見えている。それでもなお戦うのである。提案し続けるし、発言が強気にも見えるのだ。これは自信なんて生易しいものじゃない。姿勢である。

痲酔 仕事でね。「若い内に頑張ってやっておけば、年食っても頑張れるよ。」って言う人がいるけど、「おいおい元来そっちの人間じゃないからな」、って思っちゃう。
三上 元々お互い働き者じゃないから。

「何を仰る三上君。君が戦わないでで誰が頑張るのだ?」と痲酔心の叫び(笑)

痲酔 桜の名所というけどさ、名所じゃなくても凄いぎっしり枝の先まで咲き誇ってる花は好きだね。
三上 内の近所には結構あるよ。

枝まで咲き誇る櫻を事の無げに名所ではない近隣で発見している三上氏は「蟲対談(蟲籠)は良くも悪くもフラットな痲酔ちゃんしか出来ないよ」と言ってくれた。
中途半端な痲酔は若き“偉そうな”大熱弁?の果て、櫻吹雪の上野駅で彼を見送った。

蟲籠について→http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20040319
蟲ポオタル→http://www.virusdust.net/