立川志らく著「DVDブック 落語は最高のエンターテインメント」

「痲酔は生まれてくる時代を間違えたな」
と評されることが多い人間のようだ。
しかし裏腹にその容姿から、本来生まれてくるはずだった時代の同胞からの受けがけして良いとは云えない
「お前みたいな見るからに若造から蘊蓄たれられると苛つくだろうね。」
とは生前お袋が述べた息子評。そこら辺のジレンマがどうも拭えないし、困る。
こちとらいい加減で、だらしがないから、
高度成長期の日本を支えた世代の方々と合うはずがないと思う。
噺の内容や形式だけを取り上げて
「痲酔は生まれてくる時代を間違えたな」
と評されてもピンとこない。そもそも頭でっかちの現代っ子捕まえて何を仰る兎さんてなもんだ。
実際私が憧れたのは高度成長期よりも江戸時代なんだけども
戦後間もなくまでは何処か江戸時代を引きずっていたようだから
まあそこら辺までの日本に興味があり、
高度成長期の方々も憧れた時代が同じというだけであって
私の間違えた時代は高度成長期ではないと思う。
実際大正時代とかに生まれたら嬉しかったかもしれない。
ていたらくだから、耐えられなかったかもしれないけど。
つまりはアメリカさんの民主主義が入ってきたのがどうも体に合わない
だけどまあその恩恵を受けて暮らしてはいるのだという自覚はある。
そこら辺が大変ジレンマの耐えがたいことであるのだ。
だからまあおいしいとこどりが出来れば良いのだがなかなかそのバランスが難しい。
さてこの度はうわの空さんの芝居を見た紀伊国屋で購入したDVDについて
立川志らくさんという私が好んでいる落語家さんのDVD付きの書籍である
どんなDVDかというと、落語家が古典落語を説明するというか、
小説風に語ると言うもの。落語を一席やるというわけではない。
実際には解説に近かったが、解説を語るという試み。
内容は人情噺「文七元結」を説明するというもの。
落語はこと笑いという部分において、見れば沢山の共感があるであろうが、
内容を伝えるという部分において、紋付き袴で座布団の上に男性が座り、語るだけでは
これだけ情報過多な現代人には解って貰いにくい。
映画やTVがあるのに、何も人の話を聞いて脳内で組み立てるなんて作業を好んでやる人間以外は
つまりマニア以外は特にやる必要もないだろう。
映像や画像が用意されている方が見やすいし、知識もいらない。
更に落語は大阪弁や江戸弁もしくはそれに準ずる方言で語られるため、
言葉の意味などもしらないと行けないし、符帳にもついていかないといけない。
それこそマニアックであると云えなくもない。
しかし、
内容だけを取り上げれば、古典芸能の中では屈指の現代に通用するジャンルである。
形式も前述の通り、「笑い」という共感が落語を現在まで支えてきたのはわたしがいうことではない。
ということで
落語をその内容を取り上げ、現代にも通用するように、誰でも解るように解説し、
単なる解説ではつまらないから、話芸に長けた落語家自身が語りとして説明するという大胆な試みだそうな。
なるほどそのコンセプトは理解できるし、抽象的だが落語を知らない人には面白いかも知れない。
わたしも面白かった。
でもそれは立川志らく師匠の話芸に対する感想であって内容ではない。
内容はつまり其処まで言わないと現代には通用しないのか?という無念もあった
ガキの頃から落語好きなわたしが「落語が好きです」というと
「いいね。落語は面白いよね」
と言ってくる輩に内容についての意見を戦わせようとしても知らない場合が多い。
現代的分解が何ほど良いとは思わないが、そうしないと納得しないというのならそれもいいだろうと思う
しかし、実際に現代的分解など考えて見てる人がどれくらい居るのか?
ちょっと解らないが、そうは多くない気がする。
ということは私の如く話芸で笑い、それでしまいになりかねない。
だとするとこのDVDも落語の一種であるということか?
なんとなく堂々巡りだが
その堂々巡りという考え自体が現代的分解であり、情けなくもあるのかもしれない。



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