無死1010

先月の朔日、管理する「蟲」といふ個人ポータルサイトが一周年を迎えた。
立ち上げ当初、
私が兼ねてから運営していた個人サイトのネーム「VIRUSDUST」の.netドメインを直訳して
「堕蟲網家頁」と銘打っていたが、二文字目から通称として、「蟲」と呼ばれるようになり、
だったらそのままそれをサイト名にしてしまおうと勝手に誰にも相談せずに決めた。
そもそも何でポータルサイトなんて始めてしまったのか?何だか己の中でも大変な矛盾を感じる。
独りの力では何も出来ないかもしれないが、人間とは個々違った個性を持っているんだから
自発的に括ったりはしないはずだろう。括られるのを好むのは一寸不思議である。
括られるのは仕方がないし、全く繋がりのない人間てなものはいないのではあるが
蟲の如く、特に一緒に何かを行うわけでもない徒党はあんまり意味が分からない。
かといってみんなで宣伝していけば、アクセスアップに繋がり、という安易な考えも特にはないのである。
実際にそれらは一年やってきた感じとしては副産物としても獲得できているとは言い難い。
だから集団を行使するといった意味合いでは蟲はまるで機能的でない。
「まあ一年だし、焦る必要もないし、便利だしいいんじゃない」
との意見を聞くと割とほっとする。
「目標に日付を付けないと成功しないよ」
との意見を聞き、「成功って何だ?」とちょいと笑みがこぼれる。
まあいいや。弁解にもなってないことをくどくど書くのがこのブログの正体だ。諦めたまえ。
それでも去年末、サイトを立ち上げ、忘年会をやり、今年は対談をやってる。
まあ徐々にだし、10年くらいやらないと物事は判らないし。
「50になんなきゃわかんないよ」
の50歳はあと20年も先の噺だから、まあ何にも判らない己に苛つき、怒り、憤り、諦め
笑いの31年の人生如き近所の野良犬に喰わせてしまえとヤケになり、飲んだくれ、
健康に気を遣い、と生きているものの何にも判っちゃいない己が管理しているんだから、
みんなに助けられの一年をそれなりの満足ではあるまいかってなもんだ。
突然だけど
http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20040319
http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20031212
http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20031018
↑ここら辺に色々書いているね。
スタンスは変わっていない。ただ迷っている。
網で蟲を捕まえるという一年は過ぎた。
籠で鑑賞を始めた昨今。
で、それで「飼う」とか「囲う」とかいう感覚は私にはない。そんな器量もない。
パック詰めのキュウリなら、どんどん人数を増やしてしまえば良いのかもしれない。
だけど、そんなことはあんまり好みじゃない。昔から。
もしかしたら現在の感じはそんなに悪い事じゃないのかもしれないな・・・
私の生存確認をここでしている読者も存在するし、まあ意味無くともいいか。
楽しければ。生きてる感じが見えれば。蠢きが感じ取れれば。
やっぱりさ。独りは嫌なのかおれ?まあそうだろうね。
相も変わらず何かいてるんだか判らないって?まあめんどくさいから聞き流せば?
其れが嫌だったらなりゆきに身を任せるこった。
今年はもうちっとまともなことを書きたいなあ。
1999年に個人サイトを劇団を閉めた頃始めた。
ガイアックスだ。大学の後輩が作ってくれた。
ネットを触ったことも無かった時、もう個人サイトが用意されていた。
「痲酔ヤスタカ」といういかがわしいに名前に生まれ、色々趣向をむき出しにしてきた20代にとって
個人サイトは重要だった気がするんで、感謝している。
ガイアックスもかんたんHPサービス辞めちゃったらしい。
じゃあ次のステップへ、いやステージへ?まあ何だっていいけどよ。
「無死1010」それは何が溶解する温度?そんなことは誰も知るまい。
別に「千住永遠なれ」ってことではないよ。かといって意味なんか無い。行き当たりばったり
言葉が悪ければ、なりゆきだ。
「何かが起きる→それを処理する」全てはその結果であり、計算などしている余裕はない。
もうこれは治らないものだろうか?もしかしたら治ったらそれは死を意味したりしちゃうんだろうか?

だったら蟲は死なない。たぶん。
でもこれじゃあ判りにくいから、また書きます。
http://www.virusdust.net
蟲一周年への寄稿→http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20040901