蟲対談「蟲籠」第十回 万里

収録日 2004年9月22日 ( モンスーンカフェ お台場  http://www.global-dining.com/ )

北海道在住の万里(以下 万)との初遭遇はいつだったか年末のトレカブのライブ。ネットでの交流もなかったし、初対面の皆さんが他にもいらしたので、実はまるで記憶にない。万里氏も記憶にないようだ。お互い客席でライブを見た客だった。記憶している範囲では確か羽田空港。北京(現あさまさんそう)が東京に遊びに来ていて、宮崎に戻る際、万里氏が東京に来訪と言うことで、羽田で合流した。確か私は坊主頭だったがそれは関係ない。しかしその際も殆ど会話を交わすことなく別れた。いつの日からか全く記憶がないが多少話すようになったが、実質的に今回が初めての二人だけの対談。何となくあの“美しき文章”に痲酔との共通点を見付けるべく、さてはじまりはじまり

痲酔(以下痲) 二人で会うのは初めてだよね。
万 そうですね。
痲 じょにい(が独り暮らしの時彼)の家で(じょにいがいないのに)二人だけで寝たぐらいだよね。
万 ですね。
痲 懐かしい。北海道も行きたいですよ。
万 北海道来るんだったら、8月ぐらいがいいですよ。
痲 夏か良いなあ。ところで日記はいつから復活するの?来月くらい?
万 そんなに早くですか?(笑)
痲 まだいいけど、来年くらい?
万 来年かな・・・
痲 忙しいながら、意外とちゃんと見てるよ、日記。みんなに読んでないとか思われてるみたいだけど、ちゃんと読んでるよ。コメントする場もないからね。「読んでるよ」なんて。

(ここで他のテーブルの客席からバースデイソングの合唱が聴こえる。痲酔ものる。)

痲 よ!おめでとう!・・・こんなイベントがあるんだね。何の話だっけ?あっそうだ。日記ね。
万 (笑)もともと「日記書いた」っていうのは『自分の考え』を提示して行こうとか、忘れっぽいんで後で読み返したときに「こんな事書いてたんだ」とか書き留めておこうとか、だから別に誰を相手にとかしてるわけじゃないし、読まれなくてもこう、そういう気は更々おきない。
痲 アクセス数が多いと、読んでる人が居るのかなあ・・・くらいには思うし、知り合いから「読んでるよ!」とか言われると、 「いいよ。読まなくて。」って思うぐらいで(笑)まあいいけどね。読んでも。反応があると嬉しいけどね。
万 反応とか考えると、もっとこう読み手のことを考えて作らなきゃいけない。でも無理だから。
痲 おいらは技術的に無理だからな(笑)まあ加納先生は(読みの手の事)考えてそうだ。Tacさんもだよね。構成的に。
万 Tacさんは凄いなあ。
痲 人気あるだろうね。あの日記。内容よりも展開の妙ですばらしい。
万 前振りがあって、落ちにつなぐ。
痲 蟲全体でいうと、『日常生活さらけ出し系』、『型があって型どおりやる系』、『自分の心理だけをとりあげて書いてる系』、『 思いついたことをバンバン書いてるだけ』と、『ポエムチックな人』がいて、全部読むと色々楽しめていいのかなあと思いますよね。バランス的に。好き嫌いは別としてね。
万 あぁ。
痲 万里くんの日記は文の美しさゆえ読むと何かいい気分になるけど、内容は書いている本人しかわからないんだろうなと思うよね。 『読み手の生活』に照らし合わせる事は可能だけど、実際の内容、「何が言いたいのか?」に接触しないですむ。 おいらの日記みたいだと書かれている以上がないからね。おいらも以前はあんな書き方じゃなかったんだけどね。

(飲み物が来る)

万 あれ?『サンセットローズヒップ』ってのを頼んだのに、ビールが。
痲 すいませーん。(店員を呼ぶ)頼んでないのが来たよ。
店 すいません。申し訳ございません。今お持ちします。
万 ビール飲めないので(苦笑)
痲 (笑)そうなんだ・・・まあそういう風に蟲を捕らえてるんだよね。
万 昔言われた事ありますね。痲酔さんは説明しますよね。
痲 わりとね。
万 文章読んでいて痲酔さんの考えが判るじゃないですか。
痲 ん〜まあ説明チックだよね。
万 言葉を突き放すタイミングを言われたんですよ。例えば痲酔さんの場合、料理作ってお膳立てして口まで持っていく。 でも僕の場合突き放すタイミングがあまりにも早いと。ハンバーグだったら挽肉置いて玉葱置いて、「はい!」って感じ。 客しだいで美味しくも出来るし最悪にも出来る。
店 『サンセットローズヒップ』・・・
万 はい。
痲 ビールはどうしたら良いんだろうか・・・
万 痲酔さんどうぞ。あ、車だもんな・・・
痲 まあいいや・・・その部分はそうだろうな。でもさ。最近行き過ぎている気がするよ。「こういう料理がありまして、食い方はこうなんですよ。 で、食べるとこういう感じになって、こういう気分になって」って待てよ、そこまで言わないで良いよ、食わせろよみたいな感覚になるかなって・・・そこまで行かないように気をつけるけどね。
万 読み手しだいでね。もともとそういう意図はあるんですけど、そういう説明する能力がないってのもありますね。
痲 おいらも説明になってないけどね(苦笑)以前はじゃあなんでおいら突き放すタイミングが早かったのか、というとね。技術が向上して変化したかというとそういうわけじゃなくて、説明するのが恥ずかしくなくなったんですね。以前は説明が恥ずかしかった。だけど万里くんが技術がないってことはないだろうな(笑)。あれでしょ?説明する必要性が自分の中にないからでしょ?
万 自分でもよくわからない。
痲 なんとなくそういう風には思わない?説明しなくちゃって感じは感じられないからね。
万 最近は本当に突き放すタイミングを早くして、わかる人だけわかるようにしていって。
痲 それは何故?それが自分の持ち味だから?
万 そういうわけではないですよ。「わかる人だけわかってくれればいい」、ってのとはちょっと違うんだけど。
痲 外枠は「判って欲しい」って感覚じゃないからね。今は照れ隠し的に説明しちゃったほうが精神的に楽ってだけだからさ。万里くんもそういう感じしない。じゃあ誰に対して突き放しているかってことになるよね?でも目を通す不特定多数の第三者に対し、意識的ではない。そこらのスタンスは似ているかもしれない。われわれ二人は。
万 受け取れる人には受け取れるようには書いているんです。ロジックではないけど。
痲 かといってご近所さんにむけて書いてるわけではないしね。
万 大衆うけはしない。
痲 大衆が何を考えているかなんて考えたことはないけど。
万 自分の内面を吐露し、エンタメにもなれず、伝えたい事がないわけでもなく、色々中途半端なんですよ。
痲 みんな中途半端だよ。自己基準において、好きか嫌いかだけだからね。独自の基準を型にはめようとすれば何でも中途半端。どの日記を読んでる?
万 一番読むのはオリ姉。
痲 やっぱりね。
万 あと桟虚さん、ゆりさん。
痲 ああ。
万 後はあんまり書いてないけど、じょにい。a2c、三上さん、他の人のもチェックしてますよ。
痲 じょにいはやっと型になってきたよね。
万 三上さんはプロだなぁって感じます。
痲 職人っぽいよね。
万 蟲の人は職人っぽい人が多いですよ。本当に判るやつだけわかりゃあいいみたいな。心眼って感じ。
痲 難しいね。その辺は・・・おたくよりも職人っぽいかもしれないな
万 「拘り」って感じで。
痲 蟲全体的においらの基準では、何かを探していて、自分の中での“本物”を探しているって意味では面白いですよ。 判らないんだけど、一般に関しての基準は難しいけどさ。みんなが楽しめるものではないかもしれないけれど、 おいらが楽しんでんだからエンターテイメントなんじゃねえかとか思うんだよね(笑)あんまりそこら辺に思慮深くはないだろうけどね。
万 あぁ。
痲 例えば桟虚さんはすげえよね。ほとんど『文章』と『喋り言葉』、がおんなじなんだよね。あれは真似できねえな。 全部ちゃんと桟虚さんなんだよ。凄い。
万 僕はそういう意味では逆ですね。まるっきり『書き言葉』。
痲 おいらも文語だからね。一時期悩んでいて、口語にしようと思ってたけど。
万 伝統的には『書き言葉』と『話し言葉』は別ジャンと思ってるんですよ。
痲 まあそうだよね。
万 昔の人が“やうやう”なんて言葉使ってたわけないだろうし。
痲 昔はもっと如実だっただろうね。現在でも公文書に使われているような言葉。昔は小説の鍵括弧内ですら違っただろう。文盲の人が多かっただろうから、庶民の口語は『書き言葉』に支配されてないだろうね。悪いとか酷いとかじゃなく、現代とは違うだろうね。現代人は書けるからね。物事に両面があるように、人間は何面もあるわけだから、書き言葉と喋り言葉が違うのはなんら不思議はない。
万 最初オリ姉と出会った頃のネットの書き込みはもの凄い文語でした。
痲 まあおいらも含めて蟲全体が口語チックな書き方になってるよね。『書く』という行為の状態に慣れてしまったのか、なんなのか?
万 今までと自分のスタンスが変わってしまったから、かわったのかもしれない。昔は「よし」としていたのが今は「よし」とできなくなったのかな。
痲 以前はやりとりが『書き言葉』だったなという気がする。アト以前は緩急があった。それを経て、口語・・・つまり緩くなった。例えばね。以前『混沌の落書き』というお題掲示板をやっていた頃は書き込まれた漢字の配列が美しかった。でも今はコミュニケーションはスムーズになったけど乱雑になった。ちゃんと絵画を描いていたのが、ラフになった感じ。悪い傾向とは思っていないけど、そういう感じ。でもね例えばじょにいなんかは今現在あんまり書き込みしないでしょ。口語の方がストレートな表現になったがゆえに壁になるのかな・・・と。今まではネットのみの関係で終われていたものが、現実化してきてオフラインの関係により離れているのかな都は思うよね。重ねて言うけど、「悪い」とかじゃなくてね。
万 うん。
痲 個人的にもバランスを考えて読んでいたよね。加納先生 の後に にらさん を読むとか。加納先生の美文を読み、だけどずっと読んでると重くなる。そこに にらさん の日常を垣間見せさせてね。しかし にらさん は日常生活をあれだけの筆圧でよく書けるよなとか。今は凄い気楽に読めちゃってね。関係性がもっと違うところにあるからゆえの安心感なのかね?わからんけど。その中でも にらさん と万里くんは割と形態を変えずに存在している。 と思うんだよね。
万 根っこのところ、

(料理が来る)

痲 すいません。スイーツのメニューを。
店 かしこまりました。
痲 おいらと万里くんの共通点を考えるに「スケッチ」だな。って思うんだよね。他の蟲メンバーは「写真」的な感じがするからね。
万 ん〜
痲 『同じことを何回も繰り返している人』、『過ぎ去りし日々の回顧録』なんかがある中、『心象や出来事をスケッチしている』という共通点を感じる。
万 実はあんまり僕の書いていることには日常生活は全く関係なくて、単純作業やっていてふと思ったこととか多くて、それを書いてるんです。
痲 おいらの場合、形態的に『何か見たこと』について書いているので、(現在は)判りにくいけど、昔はスケッチっぽかったと思う。結局その映画なりを見た時に思いついたことを書いたりしてるんだよね。関係なくともね。『写生会』じゃなくてね。『スケッチ』。 おいらの勝手なイメージだけど。アトなんとなく映像でなく静止画なんだよね。だけど写真のように瞬間的な光の切り取りじゃなくて、 奥行きがあるって感じ。
万 あぁ〜。例えば写真があって、光の当たってない“影”の部分だとかは写らないけど、そこを『描ける』ってことなのかも・・・
痲 そうそう。そういうことだ。別に影はいらないじゃん。“影”の部分までフォローアップして全部絵に閉じこめちゃう必要はないじゃんね。だけど、そこも描けちゃう絵なら。
万 なるほど。痲酔さんは全部って言ったけど、僕は“影”ばかり描いてます。
痲 そうなの。最近のおいらは「“影”の事が言いたいんですけど、その“影”が出来た理由はね・・・」みたいなところまで書いてしまっているんでね。ホントは“影”の方が重要なんだけど。
万 “影”のこといっても、形がわかるけども・・・っていうのがさっきの話。突き放すタイミングなんだよね。
痲 そうそう。以前は“影”だけの話がかっこいいって思ってたのね。でも今は光の当たってる部分のはなしを書いちゃってもいけるんじゃねえかって思い始めてるってことなのかもね。実際にはごちゃごちゃしてかえってカオスになってるかもだけど(笑)
万 僕の場合、「かっこいい」ってよりも、“影”しか見れない。
痲 「見れない」ってよりも見ないんでしょ?
万 いや意識的に目をやっても、疲れちゃうんで。
痲 「疲れる」って感覚は判る気がする。おいら疲れてるもん。
万 見れないもんは無理に見ない方がね・・・
痲 そこら辺はおいらの自己反省の領域だね。
万 でもその努力は凄いですよ。
痲 結局『努力』ってのはする必要はないよね(苦笑)出来てるかどうかもにわかに信じがたいし。
万 まあ、「好きな事を好きなだけやってる」という意味で。
痲 そうね。『努力』ってのはないからね。まあそんな感じに親近感を持ってますよね。万里君の才能や技術によって思い込まされるのかもしれないけど(苦笑)でもそう感じるね。そして他の蟲の人には感じない。最近ね。「蟲ってなんだ?」ってよく聞かれるんだけど、 どお?難しいな
万 それ、結論を出す意味はあるんですか?
痲 う〜ん。「無理に定義付けるのもなあ」・・・とか、「定義づけた方がいいのかなあ」とか、その辺で悩んでるんだけど(笑)
万 日本人って『カテゴライズ』とか、『定義づけ』とか好きですよね(笑)
痲 好きだよね。『ランキング』とかね(笑)うーん。
万 大まかな括りは必要かもしれないですよ。例えば、「犬は犬であって人ではない」ですよね?
痲 生物学的分類ってこと?
万 いや、そうでなくて。
痲 ああ、区別ってことね。「犬を人として扱うとお互いえらい目見る」ってことね。ガイドラインはあった方がいいのかなあ。コミュニティとか集団ではないしなあ・・・まあその「矛盾が楽しいな」ってのもあるしな。
万 99年に屋久島に行ったんですよ。で、屋久島で『パッションフルーツ』ってのを作ってるんですよ。
痲 どういうものなの?
万 (ドリンクをさして)これなんですよ。
痲 え?果物の名前じゃないの?『パッションフルーツ』って・・・
万 そうです。これの実。
痲 あ、だよね。どんな形なの?洋ナシみたいなの?
万 『らかんか』って判ります?あんな感じなんですよ。中開けると黄色いザクロみたいなんです。種を食べるんですよ。
痲 ザクロ的な食い方なんだ。
万 いや全部食べちゃうんです。しかも向こうでは『トケイソウ(時計草)』っていう名前なんですよ。
痲 随分かけはなれた名前だね。『トケイソウ』と『パッションフルーツ』ってイメージに合わないなあ。ギャップだね。全国流通はしてないんでしょ?
万 してないですね。パイナップルとかも作ってるんですけどね。
痲 何でだろ?何で売らないの?旨くないの?
万 いや輸入物よりも断然旨いです。
痲 じゃあ生産数の問題だね。流通できないんだ。近海ものの魚みたいにマニアが買うんだね。うおー食ってみたいな死ぬまでに。
万 でも『道の駅』みたいなところで買ったんですけど、地方発送出荷してましたよ。
痲 その手の話にはメルヘンを感じてしまうな。
万 一ヶ月くらい居たんです。
痲 へえ。なんでまた?
万 もともと10日の予定で、空港に行ったら、お金がなくなって。カードも限度額オーバーで帰れなくなって・・・(笑)

実はこの後のが話が盛り上がった。明くる日万里氏は加納先生とお会いになるということなので、電話をしてみると、平和島にいるという。マイカーでお台場まで来たので送っていった。その間の盛り上がったことと言ったら、ここに掲載されている内容が嘘のような盛り上がり・・・惜しい。実に惜しい。ということで今日から始まった「二人だけの対談」は第二弾に譲ることにしよう。まだまだこんなもんじゃないよ。
万里氏は高校生の頃、実は東海大学海洋学部に受験を考えていたらしい。そして演劇に興味を持っていた。ともすると年齢的に私と万里氏は『同じ釜の飯を食う間柄』だったわけだ。人生に「たられば」があるならば、また違った関係で知り合っていた可能性が強い。であったらどんなであったか・・・「とてもよい関係を築いていた」かもしれないし、「いがみあっていた」かもしれない。それもまたよい。
とある国で大樹にある病原菌を感染させ発病させると、遥か遠方の別の国に生えている同種の大樹に同様の実験をしても感染もしくは発病しないことがあると、誰かに聞いた。
私は彼を評し、プロフィールに
「話題の北が産んだ業雨。その洗練されたアンニュイな文章は明確さを兼ね備えていながらも何処か寂しげで曖昧で・・・痲酔をややハッキリさせて二枚目にすると 彼になるてなもんでしてね。。「こっそり」、「口コミ」、「好きな人だけどうぞ」を 心情にしている彼がポータルサイトに参加。ムムム・・・」
と書いた。何処か同じ匂いを感じるのだ。いや「匂い」ではないか・・・共通点を感じる。それが、対談中に痲酔発言「影」かどうかは解らない。でも、どことなく同じ雰囲気がある。それが何なのか?それは私の人生にとっても重要なテーマだ。「万里氏とは?」を追求することは即ち自分探しの旅のようにも思える。北の大地に生まれ育ったルーツを・・・・
いや、それは『同種の蟲』を発見したということ・・・かもしれない。

2月4日立春!いよいよ万里氏のブログが蟲に復活!コウゴキタイ!

蟲籠について→http://d.hatena.ne.jp/virusdust/20040319

蟲ポオタル→http://www.virusdust.net/