河原乞食

ここ数日沢山の人と遭遇する機会があって
そのたびに
「痲酔さんは何をしてる人なんですか?」
という当然と言えば当然とも言える質問を
投げかけられるわけですよね。
唐突ですが。
しかし実際おいらは何者か定めない生き方を
してるわけで大変困るのですね。
「3〜4年前まで劇団の座長でした」
とか
「前にIT関連の会社の幹部で」
とか
「その前は駄菓子屋の店長で」
とか
「川原乞食でございました」
なんて過去の話しをしても仕方がない。
それだと大学生でしたとかと変わらないでしょ
今は確かに昼間趣味で弁当屋さんで
独りで150個ぐらい弁当うってますよ
でもそれもバイトだし、
何でも屋です。じゃあ何だか解らないし。
なんかぱっとイメージが湧かないでしょうし。
いつも困るのですな。
だから曖昧に
「人には言えない稼業でござんす」
なんてニヒルじみた事言ったりして
誤魔化しています。

そもそも何故こんな得体の知れない状態で
いるのかと申しますと
当然蟋蟀的思考回路だからな上に
まあシンキングナウなわけなんですな。
どうも死ぬほど働いて、死ぬほど遊んで来た
(昔「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」
というCMがあってそれにぐっときまして)
のでこういうエアポケットに陥りやすいと
言いましょうか。
だからまあ、川原乞食なんですな。

江戸は銀座には9丁目と呼ばれる
所謂水上生活者がいらしたらしいのです。
当然銀座は8丁目までしかないので
9丁目ってのはぐっとくるたとえですな。
今やとても住めたもんじゃないでしょうが
ネオトキヲにも
例えば隅田川沿い
(浅草川付近、かつてはそう言ったのです)
特に墨田公園界隈の
テント小屋はあまりにも有名ですが
あの手がたくさんいらしたのでしょうね
浜離宮の裏当たりに。
それでも花の銀座在住なんだから
すごいのかもしれませんね

そもそも浮浪者として生活しはじめたのは
色々と理由があります。
2月7日(金)の江戸ゲノムでも書いたように
「ゴドーをまちながら」
に出てくるウラジミールとエストラゴンは
浮浪者です。
あんな河原乞食はぐっとくるよな。
という影響も勿論ありましたが、
タイトルはすっかり忘れたのですが
幼少期にTVで見た、
水谷豊さん扮する日蓮宗のお坊さんのドラマが
ありまして
たまたま見た会に松田優作さんが
出演してましてね。
(再放送で静岡に居た頃見たけど
また忘れてしまって申し訳ない)
優作さんもお坊さんの
役だったんですけど、彼もまた浮浪者でして
全国闊歩して、あらゆる人に生活からの脱却
を説いて廻ってる。
で、住職として街のお坊さん水谷と
対決するのです。
この絡みにぐっと来ますでしょ?
そのイメージがかなり強いですね。

江戸時代の乞食で思い出すのが
古典江戸落語の「駱駝」
ある長屋にたいそう嫌われていた らくだ
とあだ名されていた男がいた。
このらくだが自分でさばいた
ふぐにあたって死んでいた。
この兄弟分の男が、
通りすがりの屑屋をつかまえて、
「らくだの弔いをしてやるので、手伝え」と、
言い出す。
長屋中の嫌われものだったので、
どこへいってもまったく相手にされない。
そこで、兄弟分の男が、
「『らくだの死体を担いでいって、
かんかんのうを躍らせる。』 と、言え!!」
と言う。
なんとか集めてきた弔い品で、酒盛りを始める
すると・・・・

長くなるのでやめますが、
終いの方でらくだを菜漬けの樽を焼き場まで
運ぶ際に屑屋が穴に躓く。
この穴が実は浮浪者が住む穴なのです。
冬は乞食も寒いので穴ほって寒さを
しのいでいたわけです。

河原乞食ってのは結局おいらの
人間の理想的な形なのかも知れません。
人間は生まれ持って河原乞食なんだと。
何も持っていない。家もなければ。
仕事もない。河原でじっとしている。
でもぼうっと色んなこと考えたり。
人間は生まれたとき河原乞食なんだけど
先生って呼ばれたくなる人がいたりして
なんだかおかしいねとかね。

先生って呼ばれたくないんでしょうな
やっぱり何でも色々貫いてやってると
先生になるんですな。
でもおいらは河原乞食がいいなと。

痲酔が風来坊だとか河原乞食に
実際絵に描いたようになっていた時期もありますが
今は勿論違います。
やめたんですね。
優作さんみたいな浮浪者になるつもりも
なかったんですけど
そう言う人に出会えなかったし。
みんな割と敗北者意識を楽しめてない人が
多かったので。
あ!でも独りだけいました。
彼はなんだか深い悲しみを背負った目をしていて
わけは言わないけども、何処か遠くから
逃げてきたようでした。
足が悪くて、その治療費とか
家族に負担かけたくないとのことでした
確かにおかしな話しですね。
居なくなればもっと心配するでしょうし。
だけどね。彼の目を見てると
そんなことは深く聴くのは野暮だなと
感じました。
一週間ほど彼と一緒に暮らす日々が
過ぎましたが、ひょいと彼は居なくなりました
「痲酔、俺とお前は一緒に居ては行けない。」
と書き置きがあり次の日痲酔は家を借りました。

けれど未だに河原乞食のまま
それはずっと変わらない。

まあどうでもいいんですけど