一昨年に死んだ内の母親が言うには
おいらはかなりおかしな子供だったようです。
全く物心着く前ですが。
例えば
遊びに出かけ家に帰ってくると
もの凄く興奮していて躰は血だらけ。
お袋はビックリしておいらの体中調べるも
傷一つついてない。
お袋は原因を究明しようと
おいらを怒鳴りつけたり、優しくなだめたり
でも全く興奮さめやらぬおいらは
うなり声を上げるばかりで説明しようとしない。
お袋はあきれかえって近所を走り回ると
空き地に小動物の死骸が転がっている。
恐らく生命というものにとても不思議な感情を
持っていたのでしょうがそれにしても
あまりといってはあまりある子供だったようです。

その対策としてお袋は
おいらにひたすら説明を求めました。
一から十から行動全てに意義を決定させたのです。
流石においらも馬鹿ではありませんから
お袋に説明するために行動を管理するように
なりました。
弁解するために行動するなんぞ
よく耐えられたものです。我ながら不思議ですが
そのおかげでまあ物心着いてからは
虫一匹殺せない臆病なガキになってしまいました

良い噺も勿論あります。
お袋をビックリさせようと
ヤスタカ「お母さん、大仏はなんで大仏って言うか知ってる?」
お袋「おおきなほとけさまだからよ」
ヤスタカ「違うよ。台に載って頭がぶつぶつしてるからだよ。」

まあそんなこんなでストレスも凄くて
精神病院に子供の頃は通っていましたし、
ぶくぶく太り、高校3年生の夏に98KGを
記録するほどになりました。
勿論大飯ぐらいだったのもありますけどね。
人に喜ばれるのが好きでしたから、
(人にひかれるのもね)
びっくりさせようと沢山食べるんですね。
(今でもですが)
当時は97皿回転寿司食べたり、
一日5食なんてざら、その一食も
カレーとラーメンとか主食をWで。
ペットボトルでコーラ呑んでましたしね。

話しがそれまくってますが、
今日はインタアネットについて。
インタアネットというものに触れて
ある程度どんなものか理解できるまで
一ヶ月ぐらいかかりました。
なるほど情報の媒介なんだねってことがね。
で、じゃあおいらは何が調べたいのか?
ってなりますよね。
最初はイベント情報とか
ほしいCDとかそんなものを探していたのです。
でもね。
よく考えてみれば、ネットならではのものが
たくさんあるじゃねえかと。
個人が発信してる情報をキャッチ出来るわけ
ですからね。
で、まあ予定通り猟奇サイトというジャンルに
入り浸りました。
最初は2ちゃんねるってのにも行きましたが
どうも書き込みするまででもなくて、
辞めました。

とにかくまあ色んな情報が今は飛び交っていて
便利になりました。
どんな情報でも検索エンジンにかければ
瞬く間に取り出せる。
凄い話しです。
ネットで色んな事を知ることが出来るけど
結局情報収集もセンスがとわれてくるわけですな
何が必要なのか解らなくなりがちだからね。
横行しすぎて何が正しいのかも解らないし。

例えば最初にはまっていた猟奇系のサイトとか
でも話題になってたんですけど、
こういうものを載せると教育上良くないとか。
まあ確かに何も知らない子供が見たらそう
考えるのも無理はないんですけど、
でも解ると思いますけどね。
犯罪が増えるとしたら周囲の大人が
かっこよくないからですよね。
だからまあネットを鵜呑みにしてしまう。

なんかの本で読んだんですけど
「想像力だけでは何も生まれない。幹となる部分が必要だ」
仰るとおりでね。幹があるからその枝振りを
変化させれるのであって、
かっこいい大人が一生懸命活きてる姿みたら
一応仮にでも幹は出来るわけで、
そしたら子供だって自ら選ぶでしょうしね。
だんだん教育は発展してるんだから
頭も良くなってるわけですし。

逆に隠す方が変です。
変だから良くないわけではないんですけど
結局隠れてやり始めるわけだからね
隠れてやらせるために隠す。
それなら納得。
やっぱり抑圧は多い方が燃えますからね。
そのパワーはわりと凄いモノに生かせたりするん
だろうしな。

日本だと生の死体とか見る事ないから
死に対して感じられない部分があるようにも
思えます。
その辺もかっこいい大人が一生懸命生を
見せつければ変わってくると思いますけども。

などと支離滅裂になってきましたが、
ネットとうまく付き合う方法なんて
なかなか解りにくいけど、
結局普通に活きてるのとなんら違いはないと
思います。

確かに顔が見えないから強気になったり
するひとはいるでしょうけど
結局それも日常生活で出来ないことを
ネットでしてるに過ぎず結局同じ事ですよね。
ネットって新しく感じるけど
凄く古いからね。
でもやってる人が新たに接するから
こういうのになってくる。
結局ネヲトキヲと同じですよね。
東京という街をもの凄い力で変化させ続ける
パワーがどんどん変化を呼んでいく。
それは仕方のないことなんです。

それに対し怒ったり笑ったりそれでいいんです。
そういうコミュニケーションツールとして
ネットも東京も差別も存在を
許されてるんでしょうね。

まあどうでもいいですけども