それっぽいこととか
書く気になれば書くことも出来るんです。
十代の頃にそれっぽい文章ばかり並べて
家でニヤニヤしていたんですな。
ある日無性に空しさを憶えてやめにしました。
それっぽいこととかは未だに好きになれない。
誰かに伝えるためにはそれっぽいこと
言わなきゃ理解されないよってことも
厭になるほど解ってるんですけど
どうも出来ないんですね。性格的に。

小学生の頃、サッカーが流行っていて
例に漏れずおいらも街の少年サッカークラブに
所属していました。
休み時間はおろか授業をボイコットしてまで
サッカーに明け暮れていましたが
もの凄い下手くそで、
やっぱりあんまり好きではなく・・・
ただ大好きな友人と遊びたいと、
だからサッカーも拒めない。
とにかく読書好きでしたから、
ルールブックとか漫画とかその類を
家で読むのは好きでしたが、実際するのはやはり。
とにかく昨日書いた通り、
お袋の顔色を見るように好きになった人の
顔色を見てしまうと何も言い返せない子供だった
のですな。つまり付き合いでやっていたのです。
でもまあその付き合いもあって
W杯なんかは随分昔から見てますから、
いい面も勿論ありました。

なぜそんなに厭だったかというと
疲れるから。
家に帰って、本を読むと寝てしまうから。
人付き合いとやりたいことの両立はほんとに
難しい。とても勉強してる余裕なんて無かった。
授業中も授業なんてそっちのけで
どんどん先の教科書を読んでました。
だから小学生レベルの成績は良かったですね。

とにかくひたすら読書・・・当然鬱積してきます。
サッカーでは解消できない。
下手だし、ひ弱でしたから。
で、モノを書き始めた。
色々と書いてましたね。最初は日記。
で、小説にチャレンジしたり、
戯曲書いてみたり、
当然自分でエロ小説書いて、おかずにしたり
時には新しい遊びを考えたり・・・

その遊びってのはうる覚えですが
計算機を使います。
適当に数字を打って、ルート記号押したり
適当にまた押して、出た答えを筆記。
それについて解釈を考える。
まあ語呂合わせですね。元号憶えるときみたいな
感じです。それを繰り返し。
全ての合計を出してそれについて
また解釈。なんてのを繰り返して
今日出てきた解釈を合わせて
物語を綴っていくとか、そんな遊びでした。
確かそんなことしてたのは小学4年生だったと
記憶しています。

そんな風にずっと何かを書き続けている。
何か伝えたくてではないのです。
ひたすら書く、書かないといられないんですね。
だからまあここに書いてるのも
雰囲気だけ伝わればいいかなと思っていますね。
はい。

河原乞食が見るネオトキヲは情緒だったり
するので実は文章で表現するのは酷な話し
なのかもしれません。
でも、言葉を覚えてしまった河原乞食は
記すことを憶えてしまった河原乞食は
これからも戯言のように雰囲気を並べていく
のでしょう。

それは理解し難いものかもしれないし、
それは支離滅裂なことかもしれないけども

ありのままの解釈です。

「まあどうでもいいんですけど」
って最後に書くのは口癖だけども
きっとそんな意味合いが在るんだと思います。

まあどうでもいいんですけど