2/19 ボーリングフォーコロンバイン

ボウリング・フォー・コロンバイン [DVD]
亜米利加合衆国憲法補正第二条所謂銃所有権に関するドギュメンタリー映画。
いや、亜米利加国民の恐怖感に関する映画。の方が正しいかな。

本作で
亜米利加国民は恐怖感の塊だと描いている。
その理由の一つとして(あくまで)関連しているのが、メディアの報道だと指摘している
(ような表現をしている)
我が国のメディアも同様に感じられる事もしばしばあるので理解は出来る。
例えば、「○○はダイエットに効きます。」と言ったそばから
「○○は骨粗鬆症の原因になります。」と言ったりする。
最初に○○は売れ、廃れ、続いて○○の副作用に効く商品が自ずと売れる。
という現象は筆者の周囲でも屡々存在する。

でもね。
メディアの気持ちも分かりますよ。
メディアで仕事をしている方々は恐らく「恐怖感」と直面する瞬間が一般の人よりも
多いと思う。実際観てくるのだから、「又聞き」の我々とは違う。
だから過剰に報道する。割と当然の流れだと思う。(だから良いとは言わないけども)

「のほほんと暮らしてる人」と「いつもギリギリで暮らしてる人」がいたとすると
ギリギリの人はどうしても
「いいなあ。あういう風にのほほんと暮らそうっと今日から」
とはならない気がする。
「お前そんなにのほほんとしてていいのか?」
とかなるんだろうと。

憎しみに対し、所有していてもどうしようもないという事実を知っている人は多い。
歴史においても根底の感情が憎しみである行動はいい結果を生んでいない。
やられたらやりかえす。でもまたやり返される。というのを繰り返すだけですから。
しかし
理解できてるにもかかわらず人からの憎しみに自意識過剰に反応したりするのが人間。
「あいつはもしかしたら自分の事を嫌っているかも知れない」
結局それは「自意識過剰」であるわけなんでしょうが、自意識過剰はしょうがないですよね。
みんな自分のことしか分からないんだから。自分中心なんだよね。
でもまあその辺を思想とか環境とかでカバーできてる人はラッキーなんだろうな。

つまり
「自分のこと、こんな風に思ってるんじゃないか。」
というのを
「自分が思ってるほど人は気にしてないよね」
と幸運を手に入れた人はなるわけであってね。

だからまあ、
「お前そんなにのほほんとしてていいのか?」
というのを
「いいなあ。あういう風にのほほんと暮らそうっと今日から」
となるのを手助けしてくれるのかもしれないとは思うのです。思想や環境が。
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