Placard#7 Tokyo venue : 代々木公園

やはり夏生まれのせいか、夏には特別な思い入れがある。
この場合思い入れといっても理屈や論理があるわけではなく
生理的に夏が好きなんだろうということだ。
生理というこれまた厄介な相手が相手だけに断言することは難しいが、恐らくそうなのである。
矛盾かもしれないが毎年凝りもせずやってくる夏は厭である。
なにしろ暑い。
多汗症の私だから、当然蚊にもしばしば襲撃を受けるし、最悪である。
更に自分の部屋には壁がないので冷房を取り付けられない扇風機暮らし。
そもそもクーラーは苦手だし・・・
夏ばてになるから食欲もなくなる。
厭だけど、何か憎めない夏の野郎。
私見かも知れないが、夏は“来る”とか“やってくる”という表現が合う気がする。
秋と春はどうもそんな気分にはならないし、“冬到来”とか言うが何となく秋の延長線上な気がしてしまう。
夏にはどうも台風と同じような感じがある。
幾つかの台風が来て、序でに夏も来る感じがある。
夏の終わりを秋と呼び、徐々に冬になって、やがて春になるが、
夏は何となく突然姿を現す様に感じている。
今年は特にそうだった。
夏が近づいていることを感じながらどことなく元気を取り戻す自分が垣間見えた。
さて今日はPlacard#7 Tokyoと称うイベントに我らが蟲メンバー桟虚さんが出演ということで代々木公園に出向いた。
この時期の代々木公園はジャニーズがテントを張っているがそれとは関係ない。
だからまあいつも代々木公園にいらっしゃる皆さんとは異質の夏季限定のお客さまでごった返し、夏ムードを醸し出している。
夏だから様々なパフォーマーが出没し、
ハイキングムードのアベックもいらっしゃる。
原宿という街は恐らくこの夏期休暇というモードに入っている様にみえる。
そして原宿はその夏期休暇というモードに影響されるという宿命を背負っている雰囲気がある。
しかも今日は神宮の花火大会「ハナビアンナイト」があると来た。
そんな夏祭りの如く盛り上がりを見せる原宿のどでかい公園でのイベント
しかしこれまた一風変わった催しであった。
音楽のイベントであるが、ノートPCを片手の奏者が次々機材の前に座り、
客人はそこから伸びているヘッドフォンにて拝聴する。
「功殻機動隊」の世界の如く、観客からは一人一人配線が伸びている状態である。
更に、人によっては芝生の上を体育座り、また他方ではごろ寝。
PCにコードを繋ぎ、音楽を自然の中堪能している。
この光景はやはり不気味に写るのだろうか?
見知らぬ外国人がデジカメで撮影していた。
近くでは幼子が水でいたづらしていたり、
おじいさんが裸で日光浴したり、ギター侍が噴水に向かい熱唱している。
蝉は泣きわめき、烏が縦横無尽に飛び回り、芝居の稽古をする若年層、
噴水を掃除するシルバー人材の皆さん、虫取り網を気に引っかけ困る男の子、フリスビーは宙を舞い、自主映画の撮影も行われている中、コードを機械から繋ぐ我々。
しかも皆ウットリ没頭。
自然に聞こえてくる公園の音を遮断し、奏者が奏でるPCからの音。
実にいい。何だか良い。不思議と気持ちがいい。
さて、桟虚さんの登場だ。
そのPCより奏でられる音楽に桟虚さんの声が乗る。
久しく聞いていなかったが、やはり桟虚さんの声・・・いや歌は癒しだ。
そしてそんな中でも桟虚さんはあくまで桟虚節を貫き、周囲の風景を暖かくする。
暑い夏の大公園であるはずの此処がなにやらお洒落な暖かい癒し空間になる。
この暖かさは春のそれではない。確かに季節も匂いも夏なのに暖かい。
これはもしかしたら夏生まれの私にとって母体の羊水に似ているのかもしれない。
言い換えれば常夏の国に行って、誰もいない透き通った海に浮かんでいるそんな面もちだ。
そう、誰もいない。しかし孤独な感じではない。
周囲が気にならなくなる。やはり胎児期の記憶だろうか?
これはバーチャルリアリティなのか?そのためのコード?
とにもかくにも
暖かな母なる麗しの海に夏の代々木公園が姿を変た。
そして
私が何故夏が好きなのか?少し解った気がした。
http://arch-project.com/placard/7_tokyo/