マーダーライドショー

幾ら新物好きな現代人である私でもこう次から次へと溢れかえる社会では対応しきれない。
それらを文明やら、文化やらの発展と捉えている社会ではあるが
対応しきれない私という個人にとっては、それは新しいものであり
進化やら、発展やらとは認識できてはいない。
意識的には新たな発明などもはや存在しないであろうことは理解できているものの
無意識下では無理。無理となればほっておくほかないし、変についていこうとすれば
こちらの精神も肉体も保たない。どうにもならないし、
ならば、自分の趣向の範囲だけでもとは思うがそれも無理。
無理だとすればそれなりに己の欲する範囲で吸収していくしかない。
するっていと、その世界では当然置いていかれる危機感を持つ事となり、
どうもストイックにもなりにくいし、「知ったかぶり」というはったりで
その場を切り抜けたり、萎縮するだけだったりするわけだが、
そこは素人の浅ましさを活用することも多々あり、
「莫迦にされたって構うもんか!」
となり
「生活のが大事だ」
となりどこか不貞腐れながら、諦める事となる。
つまり弁解にもならない愚痴であるわけだが、そこまでたどり着くと
こちらの方が正常に見えてきた。
まったく勝手なものだが、実際生活のほうが遥かに大事だし、
その世界で置いていかれることよりも
その世界に触れたいと思う気持ち・・・その世界でそのものに触れ
非日常を味わうというエンターエイメントの為、その世界へと足を踏み入れるという
根本的な本来の意味からすると、時勢についていかなくてはいけないという言われはない。
それらを誰かに話したいと思うから
そういった摩擦が生まれるものの、別にそんなことどうだってよければ
関係ないし、むしろ時流を追いかける方がいやみに見える場合だってあり、
コアにディープにという方が逆に受け入れられたりする。
だから気にすることはないとは思う。
その証拠にクラシカルであるとかアナクロであるとかの類が立派に現代に機能していることだってある。
寧ろ時代を経て、逆に新鮮となり、受け入れられたりもするんじゃないか。
時流を無視し、そこにたち続けた凄みが見えたりすることだってある。
中途半端に新しくするぐらいなら、それのがよっぽどいい。
しかし現代人はやっぱり難しいんだよなあ。
どうしても新しいものに目がいくようにできちまってるし、
よっぽど拒絶しなけりゃなあ。中途半端になる。
じゃあそれはしょうがないとするか、工夫して残存させていくか・・・
しかしそれは純粋ではないきがしてしまい・・・まあいいか
いつまで経ってもそんなことを人類は繰り返すのだろう。
実に下世話だとは思うが、仕方がない。
「仕方がない」
としているのは己の日記の中途半端さに対するいい訳なんだよね・・・
どうにかならないかなあ・・・
アナクロはアナクロでいい。あたらしいものはそれでもいい。
しかし中途半端はどうすればいいのか?
数の上では中途半端のほうが遥かに多いのに・・・
やはり人間とは業深い生き物であり、さらに欲深い。
そしてそう見えないものに憧れる生き物なんだ
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