変身

私が年齢を重ね、時代についていけなくなったのかどうかは知らないが、
例えば渋谷の109に入館もしくは近隣を通行すると不思議に思うことがある。
区別が付かない。勿論服装が似ているからであろう。
TVでマンバギャルとかいう皆さんはアルバローザ着用を義務とされているかの如く報道されていた。
裏原宿を歩いていてもあんまり目に付くような人は居ない。
職業でユニフォームを着ているんじゃないんだからさとは思うが、
まあでも彼らはファッションを一つのムーブメントとして
例えば、世代毎に若干服装の質が違うというのと似ているので理解できる。
つまり彼らはファッションに興味を持ち、情報機関やら友人知人やらから
情報を仕入れ、その時代場所のTPOに合わせた行為行動であろう。ということだ。
しかし、中にはファッションをそのムーブメントの旗印としているわけでもないのに
興味も無さそうなのに、同じ服装をしている連中もいる。
凡そお洒落に気を付けているとも思えない皆さんが同じ服装をしている様は不可思議。
つまりその“世界”“業界”“社会”に存在を許されるための服装やら容姿やらが
存在し、そこでさしあたった繋がりを望む。形式的な模倣を基本スタイルとしているってことなんだろう。
まあそこら辺はいつの時代もあったりして、浪人とお侍はやっぱり恰好が違うし、
かつて“スチュワーデス症候群”というシンドロームがあったりした。
運命共同体として、逸脱した行為は不安を抱かせ、信頼を寄せるのが困難だ。
変わった恰好をしている痲酔の如く人間は信用しにくい。
仲間意識は持ちにくいってなもんだ。

さて「変身」。ご存じカフカの変身といえば、かなりの問題作である。
問題作というのは、ストーリーが単純なのに、教訓やら結論やら落げやらがない話のことで、
ベケットの「ゴドーをまちながら」は単に二人の乞食がゴドーを待っているだけの話だし、
シェイクスピアの「ハムレット」も様々な捉え方は出来ても、だからなんなのか決めにくい。
つまり拡大解釈が可能であるということだ。
どうとでもとれるから、不特定多数の人間が頭を横に縦に振り、みんな悩んじまうし
合点がいったりする。つまり観客の想像力をかきたて、色々決めさせる部類の作品群であろう。
作り手がコンセプトや書きたいことの振幅を大きく設定した作品とも言えるか。
あたしゃよく知らないけど、カフカの「変身」という
学生が本書籍が物理的に薄っぺらいのを理由に原作を夏休みの宿題の読書感想文にて活用するこの作品は初映画化らしい。
私は単純な話は好きであるから、勿論本作も好きだが、
普通の家計を支えるサラリーマンが朝起きたら、どでかい虫に変身していて死んでいく。
というだけのストーリーであるから、確かに映画として不都合が多かったのかもしれない。
内容が単純だと、絵が作りにくく、同じ映像を繰り返す必要性が出てくるし、
例えば、ドリームワークスやディズニーに頼って精巧な変身シーンを作った処で
逆にチープにうつりかねない。円谷プロに作らせたら、完全にカフカは消えちまう。
男が起きたら、虫になっていたという事件性だけで、映画を作るのは余りにも厳しいだろう。
しかも死んじゃうんだ。そこには怨恨の縺れだの、愛だの憎悪だのはない。
ただ死んじゃう。何か悪事を働いたわけでもないのに、死がやってくるんだから
どうにもやるせない。
しかし映画の社会にはなくても、現実社会ではこんなことはよくあることだろうに。
素行のいい人が早く死ぬとか惨事に巻き込まれることは当たり前の如く存在する。
悪党が以外に長生きだったりもしばしばだ。
つまりそんなことは関係ない。
朝起きたら虫になっていることだって、あんまり変な話じゃない。
急に会社を解雇になったり、自宅が火事になったり、天災だってあるんだ仕様がない。
つまりそういった事件に出くわした後、人は当事者を特別視するでしょう?
カフカの変身は言っているのかもしれない。
昨日まで我々を養ってくれていた家族が虫に成った途端に悩みの種になっちゃう。
しかし虫になり、金を稼がなくなっただけで、家族は家族だろうに・・・
なんて綺麗事は言ってられない。食い扶持がなくなり、自らが労働しなくては生活しなくてはならないのだから、虫に構っちゃ居られない、となるのかもしれない。
町で同じ風体の連中、つまり人間は枠組みを作り、そこから出ようとする奴は困るってことなんだろう。
私見だが、カフカの変身には「変身願望」のようなものがあまりとりただされていないが、
きっと主人公のザムザは一瞬でも虫に憧れたはずだ。で、それがかなっての結果だろう。
変身願望ってのは結局その社会から抜け出したい、でも抜け出せない、
いや寧ろ抜け出すのが恐いってことなんじゃない?
抜け出してはダメだ、命に保証はないぞ!
カフカの変身は言っているのかもしれない。
だから変身する事によるサクセスストーリーはないから、虫が格好良く描かれない。
格好良く描くと、それは変身ヒーローモノとなり、カフカの変身とは関係なくなる。
実際にはそちらの方がリアルであり、夢がない。
だって自分が仮面ライダーになれたら、困ることの方がはるかに多いだろうから・・・

結局ナンダカワカラナイけども、つまり虫になんて成らなくてもいいし、
みんな同じ恰好の方が平和なんだ。ということか
http://www.pan-dora.co.jp/henshin/