The Cockettes

私は業深い人間だから、やっぱり部分的に数年前と言うことが変わるし、興味も憧れも変化する。
しかしそれはあらゆる全てにおいてってことではなくて、部分的にってこと。
ガキの頃つまり一桁〜20代の私の憧れた人物は殆どジャンキーだった。
名前は挙げないけど、そうだった。そうでない人もそんな雰囲気を持った人だったな。
だからみんな早死にだった。でも最近の私の憧れは長生きの人だ。
永く生きるって事は凄いことだ。「継続は力なり」って言葉があるけど、
「ただ生きている」
ってだけでも充分大変だし、尊いことだと思っている。
「そんなこと今更気が付いたのか?」
と聞かれるとホントに恥ずかしい。残念ながら、そうである。
かといって別段老人好きってわけじゃないけど、そう思うのである。
しかし、どうしてそうなってしまったか・・・
つまりここら辺が人間巧くできていて、恐らく現在私が生きながらえているのは
そうした思考のシフトチェンジが出来ているからだろうと思っている。
「人間生きてれば正解だ」
と思っている。人間は生き物であり、人類という種を繁栄させるために生まれてきたのだから
一秒でも長生きして、“良き”影響を及ぼすのを本分としているはずだ。
だから生きるべきだし、長生きは基本なのだろう。
「短い期間でも大いなる影響を与える人もいるよ」
と言われれば理解できる。しかし、大小に関わらず、長期間の素晴らしさが
現在の私にとってはしっくりいくのだ。それだけだろうね。
さて、この度の映画はThe Cockettes <ザ・コケッツ>
所謂、私がガキの頃憧れた皆さんである。まあ詳しくは知らなかったから
ガキの頃憧れたであろう皆さんのが正しいか。
人間に“良き”影響を与える人ってのはきっと“人間の本来”を見せつけた人であって
人間の本来を“業深い”と決めている私にとっては彼らは偉大である。
永く生きてれば、“人間の本来”が維持できる可能性は極めて低い。
色んなモノを纏い、違った己を取り繕うときも出てくるだろう。
しかし短期間でその人生を終えたモノはそういう部分が少ない。
だから美しく見える。人間の本来を全うできたかに見える。
だけど、人生は当然“人間の本来”のままでは生きにくい。
で、曲げてでも、生きることを選ぶ。
しかし、その浅ましさは実に人間的で美しい。というかなりの矛盾が始まる。
この矛盾こそ、人間の本来であり・・・解りにくいね。
まあ解るなんてのは妄想だから、解らないのは当然でして・・・はい弁解です。
The Cockettes <ザ・コケッツ>は素晴らしいよ。
こんなくだらない文章読んでる暇が会ったら劇場に行くべきだ。
それは読んでくれた人にあんまり失礼だなあ。まあ今更失礼もないか・・・
あ!また写真は関係ないよ。動物園の亀です。
http://www.nowonmedia.com/THECOCKETTES/