ヴァイブレータ

ヴァイブレータ スペシャル・エディション [DVD]
「“考えてる奴”と“考えない奴”はおんなじだ。“考えないと保たない奴”と“考えると保たない奴”というこった。」
と常々思っている。
そうしてないと保たないから、そうしてるんだろうってこと。
しかし前者つまり“考えないと保たない奴”即ち“考えてる奴”にも
時期や状況によって保たない時もあるだろうし、後者もしかりであろう。
で、羨ましいとなる。でもどちらかといえば、
“考えてる奴”が羨ましがってるのかもしれない。“考えない奴”を。
だって、“考えない奴”はそんなことすら考えないかもしれないから。
すると人間は何で“考えてる奴”を産み出すのか?
まあ社会は“考えてる奴”により、廻っているから当たり前かもしれないが、
何処かで必ず思考を止めているはずであろう。止めないと身体に支障を来す。
最終的には“病”となる。つまり精神が肉体をいじめ抜いての肉体的に患うか、
精神的な疾患になるかとなるわけなんであろうね。
厳密に言うとそれらを病と決めているんだ。
だって、思考ストップしない“考えてる奴”は“考えない奴”には理解できない。
つまり一般大衆下々は大抵“考えない奴”で、
社会を動かしてる奴と病と決められた人間は“考えてる奴”になるってことかね?
まあどうでもいいか。
だけど、数の上では遙かに“考えない奴”が多いって事であろう。
“考えない奴”を或る意味人間の基準と定めているんだね。
しかし、人間は考える生き物だと教育する。
まあそれも結局自分が“考えない奴”として生きぬくすべなんだろうか?
行動してから考える奴を“考えない奴”としているんだったらいいが、
そもそも人間っての“考えない奴”と決めつけているとしたら、
そういうことなんだろう。
つまり“考えない奴”にとっては“考えてる奴”に社会を回して貰わないと困るから
そう教育していると仮定も出来るよね。ってこと。
思考ストップしない“考えてる奴”に社会を委ねているのはめんどくさいから?
とするとしっくりいくな。
しかし、少数派の思考ストップしない“考えてる奴”にとってはいい迷惑だ。
しかも、羨ましいといった評価も薄く、病と決め込まれ、困ったものだ。
教育ってものがその状態を産み出しているんだったら変な話だね。
人間の本来を維持するための犠牲としているのだったら、それは困ったものだ。
だから私は常々人間の本来を肯定しているが、それは即ち、
社会を動かしてる奴と病と決められた人間も人間の本来を掴む当然の権利がある
といいたいのである。
また本作に触れてないようだが、そんなことはない。