7月12日

朝早くロド父に起され、泊港に向かう。
途中で魚河岸によってもらい、こっちの魚を見学。
一応魚屋の息子だからね。沖縄の魚は暖かさで締りが悪く、
あんまり美味くないらしい。
泊港で九州スポーツ東スポ九州版)を購入し、喫茶店で3時間船を待つ。
そう離島デビュー。渡嘉敷島だ。

渡嘉敷島が見えてきた。

島に到着してから徒歩で、一時間半。ビーチがある。ヒッピーのキャンプと
ダイバー以外だれもいない海水浴場。珊瑚の浜辺と透き通った麗しい海水。
痲酔はまるで温泉にでも来たかのように、顔だけ出して、もの思いに老ける。
実は痲酔は25歳で人生を終わらせるつもりでいた。四半世紀で全てを。
そのごの生活設計など何もなかった。18歳の時の30kgの激痩せと20歳の時の
結核の初期症状がその気持ちを募らせた。
幼少時の占いもその原因の一旦であった。
しかしそんな23歳の夏。生きたいと感じる事件があったのである。
生きたいというよりは生き続けてしまった後のことを考えたいと感じたと
言った方が正しいのかもしれない。祖母が亡くなった。
祖母は84歳という大往生の人生を遂げた。彼女は何故かいつも苛々していて、
家族を苦しめていた。祖父がなくなってから、
私以外の誰とも、ともに生活することはなかったのにである。
祖母は毎年、今年が最期の年だと、家族に触れまわっていた。
親父の証言によると、30くらいからずっとらしい。
祖母は肝臓が先天的に悪く、片方をそのころなくしている。
170cmという巨体を持ちながら、一生仕事につけなかった所を見ると
もともと体が弱かった様だ。だから、人生設計がなかった。
その頃から、今年生涯を終えると信じ、旅行ばかり繰り返していたらしい。
明日には終わるかもしれないわが人生。
そんな重たい荷物をを抱え、いつ終末を迎えてもいいように、
好きなことをし続けた。でもそんな生活が半世紀にもわたって繰り広げられたのだ。
苦痛だっただろう。世間からの風当たりも強かった様だ。
そんな彼女の死化粧を眺めながら、痲酔はとてつもない恐怖に襲われたのだ。
人生設計なんて大きなものでなくてもいい。でもいつまで生きるか?
何てことは考えない方がいい。そう強く感じた。

しかし人間そう信じてきたものを簡単には覆せない。戸惑った。
そう痲酔はそれから戸惑い続けているのかもしれない。
何故今痲酔は存在しているか?とまでは考えないまでも、
どうやって楽しく暮らすか?と常に考えているような気がする。
大自然に囲まれながら、そんなことをずっと考えていた。
まだ何も変わっちゃいないが、整理がついた。

バスタオルを忘れた。砂だらけに当然陥り、しかし服を着用し、昼寝をする。

帰りも徒歩で、山道をひたすら突き進んだ。ダクダク吹き出る汗。息絶え絶えに。
タバコの吸い過ぎかなあ?
意識が飛んできた。暗闇が目の前を通りすぎる。走馬燈もやってきた。


ああ痲酔の一生はココで終わるのね。おいおい。さっき海で振り返ったことは何なんだよ
でもこんな南の島でおわれたら・・・
などと考えていると、一台のバスが項垂れる痲酔の傍に停車する。
乗れというのだ。痲酔は最後の力を振り絞りながら、乗車。
雄大な大自然の中に走る送迎バス、同年代の若年の青年ドライバー、中年の女性。
痲酔は何故か静かな気持ちになった。中年の女性は痲酔を不信に思ったらしく、
色々と質問を投げかけてきた。彼女は本当の中部に在住し、月に一度渡嘉敷にダイビングに来る
有閑マダム。小学生の子供はだんなさんが面倒を見ているらしい。
偶然にも内の祖母は家にいると鬱陶しいという理由で親父、親父の兄貴、祖父の三人で結託して、
よく旅行に行かされていた。祖母はそんなこととは思ってはいなかったようだが・・・
祖母の事が頭を過っている以上、この女性を無視はできない。と何故か思い込む痲酔。
バスはコトコトと・・・山道を進む。
中年の女性M夫人はどうやら痲酔の事が気になるらしく、観光ガイドをひきうけてくれるらしい。
痲酔も渡りに船でロドに振り回されるのもいいが、M夫人にガイドしてもらう事と相成った。

M夫人はEという女性も連れていた。Eは静岡から来た旅行者で、痲酔と似たような境遇。
Eを拾ったついでに、痲酔もということらしい。不思議な縁を予感しながら、旅は続く。
泊港に到着した我々はこじゃれたバーでコーヒーを飲んだ。
其処にだんなさんつまりMさんが迎えに来てくれるという事らしい。
Eはとてもはしゃいでいた。確かにこれはグッドニュースなのかも知れん。
現地の人にガイドを頼む事が出来、更に夕食を振る舞ってくれるというのだ。
更には宿も提供してくれる。しかし何故だか、痲酔はどうも上の空だった。
自由を束縛されたからなのかと自問してみたが、そんな事はどうだっていいことは
自答するまでもなく容易に理解できた。なぜなのかはわからなかったが、ただ
この不思議な巡り合わせに対し、妙に落ち着いている自分だけは確認で来たのだ。

Mさんがやってきた。
夫人から想像するに、十は年の離れた初老の紳士。彼を一目見ただけで痲酔には
クレバーな男だと察知できた。ついでに天然ぼけである事も。
M氏はコンピューターと風水を生業としているらしい。風水・・・?
風水によるとこの夫婦は晩婚らしく、実際そうであったようだ。
月一回の夫人の旅も風水による診断らしい。
風水は方向学的統計学だ。様々なものに引用できる。
例えば家屋の方位や部屋の配置、こういったことも風水による診断で幸せに近づける。
生まれてきた日や時間そういうのも関係している。
しかし其れをどういう形で表現するかは其の風水士それぞれのセンスが問われる。
M氏は旅行により表現するのだ。つまり何年の何月から何月にかけて、どの方向に旅行に行くと
君は幸せに成れるよ。といった感じだ。
どうやら痲酔が沖縄に来たのは風水的には失敗らしい。
ふーん。などと思って空を眺めると、具志川という地名とともに夜空が視界に飛び込んできた。
M家到着。平屋で不思議な作りだ。へえ風水。
到着しても、痲酔は風水の餌食になる。ありがたい話だなあ。
Mさんいわく、痲酔は凄い人間らしい。
「何もしなくても幸福が訪れ、周りの皆に気にされる」人間らしい・・・・ほんとかなあ?
そんないい思いした事無いぞ?
「自分は目立たないようにしてるつもりでも、いつも中心にされる。其れは素晴らしい事だ」と・・・
其れは一番困ってる事じゃねえか。あってる気もするなあ。
「ちょっと偏った考えの持ち主で変人」といわれた。納得。
とにかく気に入られたらしく、Eが痲酔に嫉妬するほど、M氏は痲酔を解き明かす事に必死になってくれた。
普通はこんなに診断してもらうと、5、6万とられるらしい。へえ!得したなあ。
4:00就寝。ありがとう先生。