痲酔ヤスタカ獨言第誤回「無題」(ウィルスダスト通信 「膿」  20

結局どう語ろうとも真実に近づくことなどあり得ないのだろう
だからきっとありのままを吐き出すことで、近づくことはないにしても
事実は伝えられるかもしれないから

何かが崩壊して、そして誕生する。
ビッグバンから宇宙が始まって以来の物質・物体。
そいつらによって全ては形成されている。
人間の体も少しずつ食物などから吸収し、排泄し常に循環を繰り返す
すると私の28年間というのは何だ?
産まれもって持ってきた物は何もなく
それでも28年という括りはどこから来るのか?
意志?
霊などの超常現象を無視すればその考えは成立するかもしれない。
しかしそれを超常と呼ぶには自信がなさ過ぎる。
リーインカネーションを信じることを否定するにしては
己の存在は儚すぎて、何だか堂々巡りで。

一番楽なのは決めることだ。
良い悪いを決めちゃえばいい。何から何まで制度化すれば
それでことは足りるのかもしれない。
だけどそれにリアリティを求めてしまう以上もはや取り返しはつかない。
フィクション的に
「私はあの一点から28年経過した。」
と決めてしまえばいいが、その一点を嘘っぽいと思ってしまう以上無理がある。

そして死はもっと難しい。直面するのが難しい。
人間に記憶がある以上難しい。
弔いなんて無いと思うね。
だってさ。一点が決まらないのにどうやってもう一点を決めようってんだ。
つまりは
「良かった」
と決めつける以外に何も思いつかない。
「いい時期に死んだんじゃないですか?」
と問う以外に見当もつかない。

まあ自分なりに頑張りましょうかね。
なんて吐くくらいでいいのかもな。
「生きてる」と勘違いしている状態の時が実は一番苦しいのかもしれない。
「思い通りに動ける」なんて妄想にとりつかれてる方が
よっぽど苦しいのかもしれないね。
だけどもね。結局ここでも記憶しかないんだから
苦しかろうがなんであろうが、結局生きるしかない。
結局語り尽くせることなどあり得ないんだからね。

「まあ何とかやってきますよ」