リュシアン 赤い小人


花の銀座のCINE LA SEPTでリュシアンを見た。

「毒をもって毒を制す」

といった感じか?

ロゼッタ」(まだ観てない)で脚光を浴びるベルギー映画。
子供ほどの背丈しかない主人公リュシアンは
日頃から耐えかねていた世間の誹謗中傷に逆ギレして行く作品である。

モノクロで派手さは無い。詩的ですらある。
演出や効果などにカンシテは申し分無い。
しかし、物語が実にお粗末だった。
(様に思う。←自信がないなら書くな←ごもっとも(笑))
確かに設定は面白い。ラストシーンまではいいね。
(内容はいまいち思い出せないけども)

しかしエンディングがいただけない。
「ラストシーンはハッピーエンドで。」

との声をしばしば耳にするが、
筆者は常々ハッピーエンドに定石は無いと思っているものの
(ぽいというのもどっちでもいいですけど。)
大島渚監督作品「愛のコリーダ2000」や北野武監督作品「HANABI」も
筆者はハッピーエンドだと認識している。
男性器を切り取ろうと、心中しようと、前後の流れでハッピーエンドと成りうるでしょ?
切ないからってハッピーエンドじゃないとは言えない。
雰囲気だけで決めるなと、思うんです。
筆者の聞いた限りで一番いい例がダスティン・ホフマン主演の「卒業」。
教会から花嫁連れ去って、このあとどうするんだろう?なんて考えると鳥肌が立ってしまう。
スピルバーグ監督の「A.I」なんてなんとも残酷な最後だよなあ・・・とかね。
主人公なり映画の主題なりが(本筋の結論が)より良い方にむいたり
もしくは貫き通せたりを「ハッピーエンド」と表現すると思うのである。

その考えに基づけば本作は間違いなくハッピーエンドだったといえるとおもわれる。
けれど、ただ闇雲にハッピーエンド待望論を述べているわけじゃないし、
「ハッピーエンドもしくはらしき雰囲気」なら全て水に流してノーサイドとなるのはどうなんざんしょ?

本作に関しては主人公の変化が何か別のものを壊してしまっているように思うのですな。

「毒をもって毒を制す」

その必要性が主人公には無い様に思う。
例えば、「アルジャーノンに花束を」がいい例だ。
モトサヤ的なラストでも充分じゃないかなとかね。思うわけなんですよ。

おそらく本作は非日常を産み出したかったのだろうな。
バリアフリーが唱えられる世の中で、誹謗中傷を面と向かって言って
反抗する人が果たして多数存在するのかなあと疑念を抱くわけである。
ただ困惑して立ちつくすのみ、でしょう?違いますかね。
それをストレイトに誹謗を言うあたり、非日常ですよね。

「奇妙な御伽噺」

と銘打たれたキャッチフレーズはそういう意図だと考えられますな。