プロレスファン

趣味で弁当売りをしています。
特に暇だというわけでもないし、
頼まれてるから、まあ何でも屋だしなってんで
例えば弁当屋の朝は早い。
江戸っ子の商いも早いっていうんで
情緒的な話しも一応感じております。
何でも屋なんて言っても、
やはり人間ですからある程度規則正しい暮らしを
した方が身体的にも楽ですしね。
早起きは3文の得なんて言葉もあるように
朝ちゃんと起きようという理由もその一つですな。

内の弁当屋の経営してる所謂幹部クラス、
皆さん房総生まれだとか・・・
房総生まれは気が荒い・・・こちとら江戸っ子も
チャキチャキですからね。負けておりません。
弁当の仕込みの最中に飛び交う怒號が
またまた乙なものじゃないですか。
なぎら健壱さんの名曲「下町(まちと読む)」の
歌詞に出てくる
煎餅屋の親父さんが50を過ぎた二代目に
怒鳴りつけるところがあるんですが、
まさに商いや職人の世界とは
そんなものなのかもしれません。
痲酔家は代々、築地は勝鬨橋の近く
通称魚河岸の名で親しまれております
東京中央卸売市場にて生計をたててきました。
商いの家系なのです。
そういう流れもありまして
荒っぽい、口の悪いそんなものが
ビジネスにおける基本的な会話だと
思ってるわけです。

何と言いましょうか。
つまり、口が悪い=信頼されてるというような
イメージを持ってるんですね。
例えば優しい物腰で喋ってる人なんかは
どうも本音をぶつけてない感じがしてしまう
わけですね。
かといって言いたい放題なのは
このご時世には合わないということも
理解しておりますが・・・

馬鹿にされても怒らないのは信頼関係が
あるからだと思うんですね。
まあどっちがいいとは言えないんですけども
仕事だったら、割り切れるし
それのがいいんじゃないかと。
プライベートであんまりそうだと
どうも宜しくないですわな。

おいらはプロレスファンです。
昨日の江戸ゲノムに書いたとおり
マニアにはどうもなれない体質なので
そうですね。
もうかれこれ20数年プロレスファンなのです。
それもあの解りやすい荒っぽさが
理由かも知れないのです。
結局生きていくってのは戦いですよね。
人間はおそらく生命体である以上
遺伝子、もしくは遺伝情報を残していくために
生まれてきているんですな。
その遺伝情報を残すためには子孫を残さねば
なりません。
それはかなり大いなる戦いなのでしょう。
精子として一億分の一という難関を突破し
老衰で死ぬまで天寿を全うできるなんて
極々希ですよ。
そいつも立派な仕事ですよね。

例えば、
お母さん方の井戸端会議。
最近は公園デビューなんてのもあるらしいですけど
あ!ちょっと横道それますけど
お母さんというお仕事について。
例えば仕事という観点でみると
生業としているという見られ方、
つまりお客様である神様から本国最重要な価値観
お金を頂いて初めてプロフェッショナルとして
認められる。みたいなのが一般的ですけど。
母ってのも立派な商売ですよね。
制度的な話しだけではなく、仕事。
しかも24時間体制の休みのない仕事。
もちろん仕事という考えだけだったら
出来るはずのない仕事ですよ。たぶん。
内の死んだお袋見てたらそう思える日が
過去にありましてね。
それって何かを産み出す全ての人と同じですよね。
在る意味母はアーティストですな。

またまた話はそれますけど、
先日彫刻家の村上保先生とお話しする機会が
ありまして、氏が仰る言葉でとても
ぐっとくる言葉がありまして
「私は虫の世界に興味があるんです。」
作品はとても宇宙を感じさせるものなのにです
「私は過去の世界を描いてるんです。」
どうみても未来を感じさせるのにです。
「作品を作り始めたらロマンチックなことは言ってられない。あくまで技術論です。毎日毎日の暮らしの葛藤と闘うのです。」
実は人間が生きていくというのは浪漫ではなく
日常なのだと痛切に感じました。
そして最後に
「宗教は逆ですよね。芸術とは」
これが唯一宗教と芸術が相反するところなんだなと
思いました。
正面から宇宙を問いただしていくのが宗教で
日常との戦いからそいつがやがて宇宙へ通じていく
もしかしたら
それが産み出すということなのかもしれないなあ

お母さん達は大変です。
闘っているんですね。
井戸端会議とか客観的に見ていると
実はもの凄い水面下の戦いがかいま見える。
顔で笑って心で泣いて、
若干おいらには異常な世界に感じられてしまう
その光景は恐怖の極みですら在ります。

小耳に挟んだ程度で申し訳ないんですけど
ネイティブな京都では来客に必ず
あがってお茶でもとか言われるらしいんですね。
で、本当にあがっていくと、
後で悪態をつかれる。
おいらの育ったネイティブな東京(月島)でも
にたような光景をよく目の当たりにしました。
菓子折を持ってきてやったと
客人が来訪。悪いねえと言いながら
お茶を要求。出さなけりゃ
「菓子折持っていったのに茶もでなかった」
と近所で大評判。こわー・・・・

そういった人間が生きるために身につけたもの
があって初めてやられずにすむのかも知れません。

で、本題。
プロレスってのはそういうの全部ひっくるめて
全て表に出してるんですね。
スポーツとはちと割り切れない
そういう戦いが手に取るように解る。
みんな常日頃闘ってるそういうのを
ガンガン表に出してるエンターテイメント。
そこが実にぐっとくるところかもしれません。
もしかしたら。
だから、勝ち負けは勿論競い合いだから
あるにしても、そこには「負けの美学」があったり
「根性論」が存在したりする。
人間が生きていくための戦いを解りやすく
そしてスマートに提案してくれてるんだと
思うのですね。おいらは。

おっと何だか全然書こうとしてたことと
違うことを書いてしまいました。
えっと弁当屋についてはまた後日に。

またまたおいらがいうことじゃなかったですけど
おいらのことでもあるから
これはこれでまたいいか・・・

おいらのこととしては
どうでもいいんですけども・・・