回転寿司

シアターキューブリックさんの御芝居を見に
新宿シアターモリエールという劇場に
足を運んだその帰りによこかわ氏と
回転寿司に行こうかということになったんですが、
「ああそういえば新宿って回転寿司多いなあ」
と漠然と思いこんでいた痲酔。
えっとそこに大江戸があるでしょ。
混んでる。じゃあやめて次の店・・・あれ?
無いな。じゃあ歌舞伎町の方面に歩けば沢山ありますよ。
ほら、三葉。三葉は厭ですか?
じゃあこの裏にも・・・あれ?また三葉だ。
ってな具合で全く認識違いも甚だしく
まったく困ったもんだ。
結局大江戸に並び、なっとく出来ないままに
なし崩し的に回転寿司に行くはめに・・・

回転寿司って、例のBSE狂牛病)の影響で
安価焼肉店変わるブームでだいぶ店舗数が
増えましたよね。
それに纏わって、普通のお寿司屋さんは何か減ったように
感じられる。
清水にすしミュージアムなんてところが出来たり、
まだ行ってないですけど、お台場に出来た温泉のテーマパークなんかで
寿司屋があったりと、何か寿司屋もどうも「江戸」という情緒を
無理矢理感じるための媒体になりつつありますよね。
どうも痲酔が思うにネヲトキヲでは江戸という情緒を無理に残す方向に感じられる
瞬間が多すぎる。
近代化された東京の中に明治・大正はどんどん壊されて行ってるのに
昭和はまだ最近だから分かりますが、
江戸の佇まいとか闇雲に残そうという雰囲気が非常に感じられるのです。

逆に回転寿司はそういったものがない潔さが感じられる。
社会の進歩とともに対応している。
誰が考えたのか、明らかに寿司とベルトコンベアというアンバランスさといい、
メニューもコンビニのおにぎりで一世を風靡したツナマヨネーズ的要素を
取り入れたモノ何かも登場。
ここにきて不景気だから値段もどんどん安くなっている。

以前に友人から聞いたのだか、メディアで見たのかは忘れたんですが
正月に実家に帰省すると家がなかった。
何度か往復してみたが、やはり家がない。
自分の記憶が正しければ、恐らく自宅が存在していた場所にはきらびやかな店が・・・
何度か店の前を怪しい人のように往復する内に
ふと中にいる店員を見ると
何処かで見た顔。それもそのはず、自分の母親が
みそ汁を運んでいる。
驚いて店内に足を進めると、聞き慣れた威勢のいい声
「いらっしゃいませ!」
ふと見上げると、その板前は親父だった・・・
なんてことを聞きました。家が急に回転寿司に様変わり。
実際この手の話しはよくあることのようです。
ネヲトキヲ。伝統的な古き良き街が残っていないということは
それだけこの街に期待が大きく、現在進行形であるということ。
今年は江戸開府400年だそうですが
400年進化を続ける街というのは
凄いことなのかも知れません。

痲酔がいつも書いているネヲトキヲ感というのは
そういったあったはずのものがなくなっている
そこに佇んでため息混じりに記憶の捏造していく感じなのです。
セブンスターの薫りと共にネヲトキヲ感を感じていくのはなかなか乙なものです。
そうせざるをえない面も確かにあるのですが、
そういう楽しみのいいんじゃないでしょうか?
という提案でもあります。
なくなった古き良き時代をそもそも知らないので
知ったかぶりして嘆くこともないのではないかと。
(いやいやそれもいいんですけども)

回転寿司なんかすげえ高性能なネヲトキヲですよね。

埼玉県の三郷市には店名忘れたけど、
ベルトコンベア部が水、つまり水流を利用して
桶で寿司が流れてくる店があります。
粋だとか乙だとか全く思いませんけども
何かちょっと得した気分。
でもなんかその店で一番気に入ってるのは
回転寿司なのに席で煙草が吸えるところなんです。
回転寿司はスタバチックに禁煙席ばかり、
確かに味を維持するために仕方がないんでしょうけども、
そんなにビックリするような味でもないのにね。
まあ喫煙者のエゴイズムですからね。

余談ですが
痲酔の愛車は家族にせがまれて買ったトヨタのプラッツという新車で
エコカーとかいう低燃費車なんですが
いただけないのが灰皿が小さい。
低燃費だからガソリンスタンド行くのが少ない分けなんですよ。
ってことは灰皿取り替えるのも少ないわけなんで、
困るんですな。
と嫌煙家の親戚のおじさんに話したところ
「だからエコカーなんだよ」
と環境の話しなんてされて、はいはい
喫煙者のエゴイズムですからね。とか思いました。

なかなかネヲトキヲを堪能するのも難しい。
セブンスターの薫りがあるとあっさりなんですけど(笑)

まあどうでもいいですけども