RUE DES PLAISIRS ::: 歓楽通り :::

以前「TVタックル」というテレビ朝日系列で放送されていた番組の中で
現参議院議員田島陽子先生が

「物事に熱中したけいど、熱中するモノがない。
ほら熱中するにも技術とか知識とか学ばなくちゃいけないでしょ?
だから短絡的に若い人は恋に夢中になる。」

というような内容のお話をなさっていた。
確かにそうかもしれない。誰かを好きになり、恋に落ちることに対し知識や技術はいらない。
というよりも寧ろ知識や技術を有すると夢中になりにくいように思う。
しかも知識や技術を持っていたとしても、はたと恋に落ちると使い物にならなくなる事も多い。
筆者の考えではこの「夢中」という言葉自体がそもそも恋という存在なのではないかと。
物事に恋をするというのは少々無理があるが、成立していなくもない。と思う。

本作の舞台は1945年の巴里最期の娼館《オリエンタル・パレス》。
煌びやかな娼婦の世界に生まれた数奇な運命の持ち主プチ=ルイ。彼が主人公。
少々短絡的ではあるが、女性社会に生まれた子供は恋愛に対し、彎曲しているように感じられる。
マリオンという新人娼婦に対し告白する。

「あなたの世話がしたい、僕の一生をかけて」

プチルイはマリオンが望む“しあわせのリスト”に書かれたことを実行に移すことこそマリオンの笑顔を産み、
それがプチルイを笑顔にすることだと信じて疑わなかった。
一方
新人娼婦マリオンもプチルイの愛に包まれながら、毎晩別の客の相手をしていて
一時迷いもあったが、結局プチルイの信念に従い、マリオンは“しあわせのリスト”達成こそ
二人の幸せだと信じるようになった。

話しは脱線するが
筆者の知人で嫁がどんなに浮気をしても怒らない男が居る。
彼は嫁が好きなように暮らすのが即ち自分の幸せだと考えるものである。
理由はわからない。何かの罪悪感からかそれともそれは愛というモノなのか、筆者には理解できない。
一つの意見として、
以前CMかなにかで
「亭主元気で留守がいい」
というのがあったが、知り合いの主婦連中に聞くと同様の内容の事をいう人がいる。
別れるわけにはいかないけれど、家に居ない方が楽だというのである。
なるほど同じ人間どうしが一緒にずっといるというのは難しいことなのだろう。
嫁が浮気しても、ちゃんと帰ってくるなら一緒にいなくてもいい。
かえって楽だ。しかもあんな「奥さんで大変ね。」がやがて「良い旦那さんね」に転じ、
ちょっとした優越感が獲られるのかもしれない。
あくまで一意見だが、それもないとは言えない。
また違う意見としてセックスレスの夫婦が増えている。
一方がセックスをしたくないから、行われない。
だから、外で他の相手とやってくればいい。
セックスと愛は別物だ。これもあるかもしれない。

とにもかくにも
相手の全てを100㌫受け止めなければ愛は成立しないのかどうか筆者にしるよしもない。
だからまあ、それもありかなとか思う程度なんだが、
本作では成立しないと歌っているように思える。
結局“しあわせのリスト”は達成できないからね。

もしかするとそうなのかもしれない。何とも言えない。
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