御法度

御法度 [DVD]
筆者の大学の後輩から以下のような質問が到着した。
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1・ラストで沖田が田代殺害の現場に『忘れ物が』と言って戻った理由は?
何をしに戻ったのか。
2・沖田と加納惣三郎の関係は?
3・田口トモロヲを殺したのは本当は誰?
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「御法度」という本作は此に尽きるのかも知れない。
もしかしたら
此を隠れ蓑にこの映画はもっと何かを産み出しているのだろうか?

非難ではなく人間は快楽を伴いセックスをする。
わたしの少ない知識ではボノボという霊長類が同様に快楽を伴うらしいが
その種を除けばヒト目の特異性と言ってよいだろう。
つまり一般的にはセックスは快楽を伴わないということだ。
目的として子孫繁栄、遺伝子の伝播があり、
その中心には愛というものがあると言われる。
愛情という感情を発端として生殖が営まれ、
やがては子を授かるという生命体の基本的な姿勢である。
しかし
その生殖以外の性行為を行う我々人間は特異な存在であるにしても、
絶対数の多さからその現実に気づきにくい。
人間は人間の言葉しか解らないから、
他の動物の一般論が繁栄されにくいというわけである。
これは由々しきことか?と問われれば、仕方がないと思うが、
その現実は確かに存在するはずであろう。
そこで
人類はやむなく常識やら道徳やらという強迫観念に近い制度をしいてきた。
わざわざ『愛は必要だ』と訴えなくとも
動物は自然とバランスをとって暮らしているのに、
人間はいちいち言葉にしないと忘れちまうらしい。
生殖により繁殖をその基本方針であることを忘れ、
快楽に溺れていくことをよしとしないと、制度化しないと、
解らなくなる困った生き物なのだとも云える。
其処で生殖と性行為を分断するという手だても存在しうる。
殆どがそれだが、するっていと様々なフェチズムはこの分断した形式だろう。
快楽と愛とを混同するよりもずっといいかもしれない。
もちろん混ぜることも可能なのだから人間らしいと言えばらしい。
繁殖を基本と書いたがもっと厳密に言えば、
繁栄のための繁殖なのであろうから、
繁栄のためにはバランスの良い暮らしも重要だ。
ともすると、各個人がそうしないとバランスがとれないというのならば、
この形式はもっと取り入れた方が良い。できれば他者を傷つけない形でね。

此処まで書いたが、果たして本作の主題は「快楽」なんだろうか?
甚だ疑問ではある。
上記したが『愛情』とは生殖のための原動力と限定して良いモノか?
性行為にも愛は存在するのではないか?
だとするとそれは混同と言って困るのではないか?
いやいや混同もありなのか?

筆者には解らない。

『オスはバラ巻き、メスは選ぶ』

と何かで聞いた。
つまり、
オスは元来『残すため』にバラ巻く習性があり、
メスは『残すため』に選択するのであるということ。
至極尤もだ。
しかし、
機能としてオスに生まれてもメスの習性を持つ者も
いるのではないかとは思う。逆もまた真なり。

此は性行為だけに限ったことなのだろうか?
人間の特異性としてそう言った現象が起きるのかね?
しかし違うとしたら、例え快楽があろうがなかろうが、
愛情は存在し、雄も雌も一様に残そうとする、
ということはどんな状況下でも云えるのではないかね?
些か乱暴な言い方だが、
本作の主題は『愛情』ではなかろうか。
そして『嫉妬』である。
『嫉妬』というのは何も“バラ巻く”も“選ぶ”も関係ない。
唯一を残したいと思う気持ちではないのであろうか?

こねくり回しているが、
快楽だって
本当は残したい本能に基づいた動きではないかって事だ。
快楽を得ないとバランスをとって暮らせないというのは
最終的に優良な遺伝伝播に繋がり、
全体的な繁栄に繋がるプログラムなんではないかね?
人間が特別だと位置づけることも可能だが、違うんだろうか?
確かに結果として遺伝伝播しないケースも多々あるだろう。
だとしても、
その個体が
類全体になんかしらの貢献をしているという希望を持てなくもない。
上記したようにバランスの一端として何かの役には立つだろう。

そう思っても差し支えはないのではないか?