マイウエイ 11月25日(火)

揶揄されるのは慣れている。
だけどもそれはなんというか
それだけの関係を築けたという
確信があるから、そうするのだろう。

こんな私にも大切なものはある
大切で触れてはいけないものぐらい人並みにある
そこを触れられれば怒り狂う

でも其処に触れることの
わたしにとっての重要性について
私が伝え切れていなかったのではないか
という疑問も残るのは確かだ。

守るモノが解りやすい奴はいい
確かに恨まれれば、そこを攻撃されるんだから
怯えてしまうという
デメリットはあるかも知れない
だけど、恨まれない限りにおいて
攻撃はされない。
観て何処が大切なのか解るから
其処を相手は避けるだろう。

しかし解りにくい私の如く人間は
うっかりした弾みで地雷を踏まれてしまう
こともある。
滅多にないが偶にある。

そんなときわたしが悪いとも思うから
その相手が、つまり触れてきた相手が
極親しいヒトで無い限り私は怒らない。
だって何も知らずにそこに入ってきてしまった
相手も突然怒られたのでは何だか解らない。
こっちが威嚇して反撃するのは
こちらが不快感を持つからであって
その不快感を解消したいからであるので
反撃することによって相手が
攻撃の手を緩めないのでは
意味がない。
解らなければもっと攻撃されることも
経験上解っているからである。

ただ極親しい人間にそれをされたのでは
厄介である。
極親しい間柄などわたしには殆どないのに
その相手にそうされたのではたまらない
流石に怒る。

しかし怒った結果反省もする。
あんなに親しい奴にも解って貰えなかった
というのは一体なんじゃろうと

逆に他の連中には解るのに親しいから
解らなくなっちまうのかとか

どの道
わたしの不徳の致すところである