伊藤キム+輝く未来「劇場遊園」

友人のコバユカさんが出演する舞踏で、二度目の観戦。
前回はこれはなかなか結構な催しに誘っていただきと言った感想を
持ち、大変満足なまま家路に着いたものであった。

今回のお誘いは数年ぶり。
ダンサーコバユカさんと遭遇も数年ぶりとあって
昨夜は眠れない・・・ほどではないがわくわくしていた。
にもかかわらず其処は業深き人間何かとあれやこれやとしていると
遅刻という失礼な事態を招き、これまた失礼となる。

場所は世田谷パブリックシアターという
キャロットタワーのとあるフロアに構える劇場。
しかしこれまたキャロットタワー全体を生かす演出だと言うから
これまた楽しみ・・・でも遅刻・・・またまた失礼

三軒茶屋キャロットタワー地下駐車場に駐車し、
エレベーターでさっそうと遅刻魔痲酔は劇場フロアへ。
エレベーターの扉が開き、早足で出ると、足下に
人が寝ている。驚いた痲酔が顔を上げると
大勢の人間の二つの眼が此方を穴が空くほど見ている。
ちょいと照れながらも、視線を逸らす。
しかし其処にはTVカメラ・・・・

状況は飲み込めた。なるほど、これが催しか・・・
場内にはNHKの気象通報が木霊する
その放送の中舞踏が行われるのは前回同様だ。
でも前回はこんな廊下ではなかったけども。

会場に入る。お手元のパンフレットによると
どうやら先ほどの建物全体を利用した演出は第一部で
ここからの劇場で執り行われるのが第二部。
席種がABと別れているが・・・どういうことだ?
Bは二階よりも上階とのことだが、上からのぞき込んで見ると
一階席には誰も座ってないよ。
まあいいか、とにかく一番前の席だ。
良い席をありがとう。
この劇場は好きだ。二階以上はバルコニー状になっているのだが
なかなか素敵だ。

さあ開演。未だA席はどこだか判らない。どっから見てるんだろう?
コバユカさんの話だと確か
「Bは見づらいよ」
とのことだが、Aが何処から見てるのか?やっぱり気になる。
気にしない方が無理だ。

始まると客席に人がわらわら出てくる。
出演者だ。見たら判る。ダンサーの人って体格が独特だからね。
素晴らしく姿勢がいいし。
我が友人の姿も見える。
なるほど今度は客席で催すと言うことか。合点!

あれ?するっていと・・・舞台は・・・
緞帳が開く。なるほど客席が作られてる。

このパフォーマンスは人間を観察するというコンセプトのようだ。
つまり人間が博物館に展示されている。
人間を愉しむテーマパーク。

第2部ではそれが人類、人生というこの二つを描いている如くに
見えた。各個人の人生、その集合体の人類の歩み。
私は常々人間とは不思議な生物だと考えている。
生物とはある一つのプログラムに従い、それを全うして
その類を繋いでいくのに、人間は其処に集中できない。
感情や生理によりそれらプログラムは予定変更してしまう。

しかし不思議なのは其処ではない。
では何かというと
そうして生物のあるべきプログラムを破壊してる人類は
どういうわけか数の上では繁栄してるのだ。
他の生物は己の種を繁栄させるべく、
日夜己の生理をいさめて日々努力し、現在まで生き残っている。
だけど人間は生理をむき出しにし、他生物に迷惑をかけ
生存競争を戦おうという気概も感じられないのに
地球上で未だ最も栄えている種である。

この人間という生物を見ていると嫌みだが無駄なことも
大切なのではないかと思えてくる。
誰一人プログラムに全うしているものなどいない人間。
この我が儘とも思えるスタイルは一体何なのだ。
そして今後保つのか・・・・・

私が知るはずもないし判るはずもない。
だけどね。そんなことは知らなくてもいいが
私は日々の生活を送り、誤認だとしても生を意識している。
「人類はこうである」
「人類はこうであるから自戒しろ」
と言われてもどうしようもない。
でも生きるのだ。生物だからね。生きようとはするのだよ。
なんとか己と相談しながら生きていくんだ。
これはきっとプログラムされている人間の部分だろうな。

人間という生命体あるまじき生物として生まれたわたしも
何とか良い悪いは別として、生きていく。
その現実を突きつけられた
でも生きていくのだ。

伊藤キム+輝く未来
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/3773/