シェロ

昨日の蟲年忘れ会で跳ね際にa2cから音源を戴いた

a2cはGデザイナーだから、ジャケットもいかす造りになっている

帰宅途中マイカーで音源を聴いた。

羽田の殺風景なレトロな未来都市に木霊する音が

朝日と共にリアル感を出していた。

「音楽は空気に色を付ける」

と何処かで聞いたが、そういうものなのかもしれない。

わたしのa2c感は生理的に近い気がしている。

妙な親近感がある。

生理的な言葉を発しても何となく通じている気がする。

a2cの日記を読んでいるとどことなくその生理的な共通点は見いだしにくいが

駄弁ると近いことが判る。

違いがあるとすればa2cはおいらよりもきちんと表現しているのかもしれない。

きちんと日記をつけ、そこには出来るだけ沢山の言葉を並べてはいるものの

お互い論理は破綻していて・・・というよりも生理を無理に言葉にしている。

だから同じタイプかなと思う。本人やa2cファンには怒られそうだが。

きちんと表現なんぞと書いたが、実際にはドングリの背比べだろう。

物事を正確に伝える必要は日本人には無いとも思える。

そんなにでかいこと云わないでも我々二人はかなりそこら辺が欠けている。

どちらかと言えば曖昧であろう。

それでもなお“きちんと”としたのはそういう性格の我々が

表現したいと思っているという事実があるからである。

怠惰ならば別段表現の必要ようにも思える。

怠惰を追求、徹底すれば表現すらもめんどくさいはずだ。

だがね。追求なんて怠惰には必要ないのだし、

怠惰は怠惰なりに怠惰でアリ続ける必要があると思うんだ。

ということは何がきちんとなのか?

怠惰としてきちんとなんて判りにくい。

結論から云えば、我々の場合、怠惰というのはあくまで人の評価であり

スタイル的な、形式的な物だと思うのである。

あくまで重要なのは内容なのだ。

ぱっと見、怠惰なa2cは妙に色っぽい。

それはスタイル的な物ではないのだろう。

どちらかと言えば内容を追求する者だけが許された色気。

オスのわたしがオスのa2cをそう表現するのは気持ち悪いかな?

「で、とどのつまりどんな音楽なんですか?」

と聞かれても、返答に困る。

だってスタイルの問題じゃないのだ。

a2cは何をやっても色っぽい。

通り過ぎた後の残香がそれを物語っている。

だから彼の音源も音が通り過ぎた後に匂いが残る。

瞬く間に通り過ぎる音楽なのだが、香り立つのだ。

音楽が空気を色づけるものだと書いたが

それだけでは不満だ。温度や嗅覚を刺激するものであっても欲しい。

残念ながらわたしには温度は感じられない。

だが匂いは格別だ。

甘い匂いだが、甘ったるくはなく、ほのかと「鼻につく」の間ぐらい。

何よりも近未来都市には皆無な匂いである。

人間くさいが泥臭さはない。

あまりにも持ち上げ過ぎかな・・・反省。

最後にちょっと下げると日記を読むとそれが残らないのが残念で仕方がない。

3月1日三軒茶屋ヘブンズドアでシェロの初ライブがあるそうです。

詳報はとりあえず

http://virusdust.net/sound