湯屋番

夏休みの宿題をわたしは二学期始業式後手をつける手合いであった。
思えば全てリアクションで片づけている
問題が起きてから解決する
云ってみれば警察みたいな感じかも知れない。
泥棒が居なければ警察は何も出来ない。
それが厭で夏休みの宿題を一学期終業式後開いてみた。
数日で仕上げ、あとの休みを謳歌しようという年があった
しかしいざ二学期始業式後最初に仕上げたはずの宿題に間違いが
山積していることに気がついた。
そこで例年と同じ展開になり、なら最初から後回しにした方が良かった
という結論がガキながら芽生えたっけ。
毎日コツコツやるのがいいとは一度たりとも考えなかった。
結局部屋の片づけやら、仕事やら、どんなものでも後回し。
非道い例をあげれば
車を運転している時時々尿意を催す。
まあ生理現象だから誰にでも在る。
そんなとき大抵の人は渋滞など止ん事無い理由でもないかぎり駐車し、
コンビニや公衆トイレで用を足す。
しかし痲酔の野郎そんなことも後回しにしちまう。
最終的に耐えられなくなり、車内にある適当なビニール袋に用を足す。
こんなことはしょっちゅうである。
未だ失禁は無いが、時期なるかね?
いやいやなんとそんなときは何とかなってしまう。
この何とかなってしまうから後回しにしちまうわけでいやはや困ったもんだ。
当然人間だからミスもする。
しかし人間は学習によりそのミスを未然に防ごうとするらしい。
しかし痲酔は其れが出来ない。
どうやら物忘れという大変有難い機能がそれを抑止しているようだ。
成長をストップさせている。

だけどね。
人生なんて部屋を片づけ、仕事を片づけ、家族を片づけ、自分を片づけて
終わりだと立川談志家元も何処かで書いていたがそんなもんじゃなかろうか?
だとすればわたしの癖は大変優雅である共云える。
いや人間の業に忠実なのかも知れない。
だけどね。実際はしんどいのだ。
かえってめんどくさいし、なんとかしたいものですわな。
そんなこと云ってる内は永遠に後回しでしょうがね。
湯屋番という落語のさげの部分はいいなあ。
でもそれじゃあ困るのも事実だ。
だって日本は亜米利加的な國になったんだから