「人間とは得手でしくじる動物だ」

との口癖の男が居る。わたしの知人である。
例えばわたしは口が減らない男だがそういう奴は
「口は災いの元」
を絵に描いたような男であるというのである。
せっかちが取り柄というのもなんだか解せない事実ではあるが仕方あるまい。
確かに自信のある、他人よりもその部分で長けているということは
妬みや嫉みや恨みの対象となり得るであろう
また内のお袋の如く、健康を絵に描いたような手合いが
早死にという例も少なくあるまい。
現に内のお袋は大病どころか風邪を引いた処を見たこともなかったが
53歳でこの世を去った。
わたしの友人は手先が器用であり、几帳面な性分のため
近所の塵の収拾所の管理やら、子供が置き忘れた三輪車などを
きちんと片づけるように、棚を拵えたりしている。
しかし、
「あの人五月蠅いから」
とか
「棚なんて作ってお節介な人だね。何も子供がやることに目くじらを立てることもあるまいに」
などと煙たがられている様子だ。
得手を武器に社会貢献をしても、この有様だ
それを自分の儲けの為に、得手をひけらかせば
「やだね。そんなに儲けたいかね?」
と井戸端のテーマとして申し分ないという結果を生む。
別段人に後ろ指さされることを苦としない人もいるだろうが
何かの時にめんどくさいのは厭だろう。
自分一人で生きていける社会とは言え、やっぱり他人からの悪しき干渉は望まないはずだ。
できれば避けて通りたい。
少なくも自分が得手であると理解する方が「めんどくさい」には近くなるとすれば残念であろう。
さて
噺を戻すとこの名言(?)を発したわたしの知人
本日大事故に見回れた。
知人として大変悲しいし、本人の無事を知るまでは
生きた心地はしなかった。
彼はハーレイダビットソンとかいうバイクを所有していて
まあそいつで事故ったらしい。
本人が詳細を語りたがらないので、事実は判らない。
かれはその手の職業に従事しているわけではないがバイクに詳しいのであろう。
以前
「バイク屋の親父にバイクの蘊蓄をたれて叱られた」
と言っていた。これもまた名言に忠実なしくじりである。
バイクに詳しいということは本人はその手を得手と認識していた。
バイク屋の親父に警鐘を鳴らされ、反省していたにも関わらず
この度の事故だ。どうやら過信である。
「人間とは得手でしくじる動物だ」
とわたしが言われた時、わたしの自動車の助手席に彼は乗っていた。
「痲酔君は自分の運転は荒く非道いと知ってるから気をつけるでしょ。それはいいね」
と言われたように記憶している。
わたしの如くあまり運転に自信がなく、モーター関連に知識のない人間はそれでも当然だ。
だが、ちょっと詳しい皆様はちょっとでも自信がある人は
当然事故になりやすいのかもしれない。
しかしその行動はF1ドライバーでさえ事故を起こしてしまう事実を
誰よりも知っている皆様とは思えない。
どんなに運転技術が達者でも、彼らと比較し月とすっぽんだろうに
「人間とは得手でしくじる動物だ」
とはよく言ったものである。この言葉は大切にしよう。
まあ判っていてもやってしまうのが人間という生き物のようだがね。
健康な奴にしか不健康な生活は許されていないのだし