バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム)

バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム) 通常版 [DVD]
わたしの幼なじみのT氏に云わせるとあのような駄文でよく売れたもんだとのこと
いやいやあの文章だから中学生の殺しアイがいい感じにうつったのだとの加納占い師
と前作の頃原作小説について耳にした。
前作はぶっちゃけ北野武氏を見に行ったし、
常々現代の常識も非常識もよく判らない社会では教育なんてどういう基準で
執り行うの?との疑問を持っていたので楽しみでもあった。
しかも生理的に深作作品は好きであるし・・・
さてⅡ。前作が大ヒットとのことで続編である。
とかなんとか書きながら、劇場に行ってないところを観ると
それほど楽しみでも無かったのだろう。
というわけでDVDでの鑑賞。
レンタルだからあのセルの蒼々たるボーナストラックは観てない。
前作で七原秋也(藤原達也)が例のBRというゲームから逃げ、
世界中を駆けめぐっている最中テロリストとなり、
そのテロ集団セブンは日本政府に対し・・・いや大人達に宣戦布告する。
というわけで、今回は戦争です。ということ。
竹内力氏扮するタケウチリキ先生が受け持つ問題を多く抱えたクラスが
新たに日本政府が制定した法律BRⅡ法に基づき今回のゲームは始まる。
今回は戦争です。
ふと思ったが人間は殺人を侵す。
極一部の希有な例としても殺人を犯す。
他の動物には3大欲求以外の欲望がないのだとすれば、
人間は其れ以外の欲望により同一の種の生命を脅かす生き物なのかもしれない。
しかし
「種を絶やさない」
という生命体としての第一義を守るために他の動物は殺戮を犯すことはあるだろう。
人間も人間という種を絶やさぬ為に殺戮してると云えなく無いだろうか?
他者を排除する基本的な動機は自分や自分にとって守るべき物を守るためだろう。
己の基準の中でその排除すべき他者は自分が生き残るために困った存在である。
そして誤認や怠慢であっても自分が生き残ることが即ち人類繁栄の一歩と考える。
やや語弊があるが、人間やはり自分が否定されるのは厭だろうし、
その背景には自分が正しいという自己基準が存在するのじゃ無かろうか?
もし違うなら、自己正当などするはずがない。
まあしない人もいるか。全員ではないけど、少なくも殺人者はそうだろう。
自分が生存し続けることが種を絶やさない大前提であると考えているとしか思えない。
するっていとやはり他の動物と同じでは無かろうか?
ただ数の上で刃物や、銃器、薬物など物理的な攻撃により他者を殺める人間の方が
数の上で少ない日本であるからそのことに気づきにくい。
歴史の教科書を紐解けば数頁に一度戦争の史実が記載されており、
他の動植物を衣食住のためとはいえ殺している。
他者を殺さないとまずは成り立たないものなのかもしれない。
それを常識やら学習やらで止めているのは間違いなく人間だろう。
別に人間は正しいと言いたいのではないが、
そういう事実はあるのかもしれないと思うだけだ。
さらに人間に限らず全ての生命は常識や学習により統制をとっている
のかもしれない。
でも本来は現在の如状況ではなく、殺戮を繰り返す代物だとすれば
・・・書いていて段々虚しくなってきた。
別に現代もそんなに変わらない気がしてきた。
結局自分が生きるために必死なのだろうな。それは変わらない。
ゲームだろうが、生存するためだろうが、結局何かを排除して生きてるのは一緒なのかも知れない。
止ん事無い理由があろうと、排除された者は堪ったものではない。
なんか本筋とはずれたが、そんなことを思う。

明るく、楽しく、元気よく、BRII http://br-new.jp/index.html