シェロライブ in 三軒茶屋Heaven’s door

今年も早いもので三月に入ってしまった。
30歳で三月で今日は三軒茶屋で・・・
やはり三軒茶屋は苦手である。
山の手の下町という雰囲気がある、と思っていたがあそこは山の手なのかね?
実際には違うだろうな。
所謂ベットタウンというのとも違うしな。
下町とかダウンタウンとかの定義とはなんなのか?
「下町情緒がある」
と一言で云えばそうなのだが、そのような曖昧なものが通じにくくなった現代において何処を定義として考えればよいのか?
まあわたしには知る由もないがちと気になった。
例えば江戸時代は庶民の居住区を下町と称い、
生活の場であるのだから、生活する上で必要なものは何でもあったのであろう。
そして浅草などの行楽地に足を運びやすい場所であり、活気があり・・・わたしが解明する事じゃないな。
まあ其の程度を現代に当てはめれば何処でも下町とは云えるかね?
ユニクロと牛角と吉野屋とコンビニ、ファーストフード、ファミレスあたりがあればそれでいいのかもしれない。
でも違うのだ。庶民に活気がなければ・・・だからもう辞めたって・・・
さて三軒茶屋。何となく苦手だ。いつも迷うし不慣れだという理由だが
もう随分と足を運んでる気がする。
単に先入観で若者が大勢居るお洒落な町にこちとらとりこまれないぞってなものなのかもしれない。
まあいい。しかし駐車場が少ないのは勘弁して貰いたい。
結局町内5周もしちまったよ。加納先生は一発で止めたらしいが・・・

さて苦手な三軒茶屋に何故行くことになったかというと
タイトルにもあるようにシェロという蟲メンバーのa2cのユニットのライブがあったからである。
シェロについては以前に書いた。
2003年12月あたりの観察日記参照である。
ぶっちゃけわたしにとってa2cの魅力は残香である。
a2cは雄のわたしが見ても色気のある雄である。
その色香というか色気が一緒にいるその瞬間には気がつきにくい
だが一度a2cがその場を離れるとその残り香により、気がつく。
その残された香りにより、甘くメロウなのに何処か寂しげな色気に気づく。
その私見による魅力がどうもa2cの日記には出ていないと先の日記にも書いた。
また前述した内容だが音源を貰い聞いた時にはその残り香が出ていたと思う。
だから聴いていて安心であった。後からきっとその残り香がわたしを包んでくれると信じて聴くことが出来た。
しかしこの度のライブはとてもハラハラドキドキの連続だった。
もちろん
シェロで初ライブであり、a2c自身も一年ぶりのライブ、4年ぶりのボーカルと準備不足と緊張が重なり
そう言った状況を生んだのかも知れない。
しかし、(しかしが続くね)
それに起因する形でその最大の魅力が欠落していたのでは実に残念である。
ハラハラドキドキが良き方向に作用する手法もあったのではないか?
a2cはかっこいい。わたしもそう思う。
しかしそれはかっこつけているということではないし、
寧ろその逆でナチュラルな格好良さである。飾らない格好良さだ。
やがて来る残り香がそいつを拡張させると思う。
その予感が安心感を産み、今現在その瞬間の格好良さを見ていられるのだ。
だが、余韻が残らないのではないか?という不安はかなりの負担である。
「格好いい」に没頭しにくい。かっこいいだけになってしまいやしないかという不安感がドキドキハラハラに繋がってくる。
唯一わたしが気に入ったのは中盤のMCでじょにいの誕生日を祝ったところ。
其処は素直に感情移入できた。
あくまでこれは感情移入であり、実際のa2cの魅力とは違うのだが、
素直にかっこよさを受諾できた。
a2cはかっこいい。だから無理にかっこよさを押し出さなくても良いと思う。
当人は無理にやってるつもりではないのかもしれないが、そう見えてしまう。
かっこいい人が格好いいことをしようとすると何というかその
嫌みに見えてしまうこともある。
それよりもその残り香に期待し、ナチュラルな格好良さでわたしを酔わせて欲しい。

ムシレエベル<蚊舞音曲> http://virusdust.net/sound