映画「イノセンス」公開記念 押井守監修 「球体関節人形展」

木場は好きな場所である。
木場公園で弁当広げたり、昼寝をするのを好んでいる。
生家の近くでもあるし、深川、門前仲町なども近い
しかしその木場公園の一角に聳える東京現代美術館には
数回しか足を運んだ覚えがない。
前回は確か横尾忠則展であったような・・・
ドッグヴィル」という映画を見に日比谷に行ったとき
ふと東京国際フォーラムのチケットぴあに立ち寄った。
そこで目に飛び込んできた球体関節人形展のチラシ
またまたいつもの如く知識があるわけではないが、
球体関節人形好きである。
というよりもマネキン好きであるし、
人形好きなのである。何故わたしが人形に惹かれるかは後述する。
チラシを良く読むと映画「イノセンス」の関連イベントらしい。
わたしゃかつてアニメが好きじゃなかった。
まあ食わず嫌いだったのだが、
アニメは手塚治虫氏のみを観ていた。
手塚治虫先生は大好きである。
またちばてつやさんの漫画とは思えない演出の素晴らしさも好きだったが
他は単なる食わず嫌いが祟り、受け付けなかった。
それはガキの頃の友人がアニメに傾倒していったことが原因ではないかと
今考えると思う。
周囲の連中が自分よりもその分野に対し、詳しい知識を持っていると
やになってしまう性質であったからだろう。
で、食わず嫌いであったね。
しかしある日大学の後輩からエヴァンゲリオンを見せられ、
また同じ頃ゴーストインシェルを見せられた。
わたしは懺悔したね。ジャパニメーションと言われ
もてはやされている業界の凄さを思い知った。
カルチャーショックである。頭を殴られた思いがした。
後輩には感謝している。あいつは今どこで何をしてるのだか・・・
失踪したままだ。

さて本題に戻る。
この度の展覧会はというか映画「イノセンス」じたいが
「人間は何故人の似姿を造るのか」
という主題を持っているらしい。
確かに「人間は何故人の似姿を造るのか」と
わたしは常々思っているし、
「わたしは何故人の似姿を好むのだろうか?」
とも思う。
「人間は何故人の似姿を造るのか」
は映画を観てから私見を述べるが、
「わたしは何故人の似姿を好むのだろうか?」

ガキの頃、わたしは近所の方々にもてはやされていた。
何というか笑顔の上手なガキだったわけだ。
ガキながらに、どういう表情で大人に接すれば
受け入れてくれるかを本能的に理解していたようだ。
そしてピンクや赤が好きだったわたしは女の子と間違われていた。
しかし
周りの大人達は誰一人人間扱いしていないってことに
ガキながら気がつき、酷い孤独感に襲われたものだった。
「人間扱いされていない」パターンとして
犬猫などペットの如く扱われるパターンはよく見かける。
乳幼児をそう扱う大人をよく見かける。
しかしガキの痲酔は自分は人形なのかも知れないと思っていた。
笑っていればいいという感じにうつっていた。
動物の方が良い扱われ方のように思えていた。
のである。
ある日何故だかその認識が弾け、わたしは誰かれに
ピエロ、クラウンの如く振る舞うようになった。
人形を観てるとほっとする。
何故だかわたしの仲間の様に思える。
恐らくそういう理由だ。
確かに仲間の中には好きじゃない奴もいる。
生理的に受け付けない奴もいる。
しかし
人間にはそういう人はいない。
哀しいが、そういう感じなんだ。
頭ではわたしは人間だと思っている。解っている。
しかし感覚がそれを許さない。
どうしてもそう感じてしまう。
しかし
そう思っている私こそが人形を迫害しているというか
差別している張本人なのかも知れない。
そういう疑念を持つこともある。
だからこのまま人間の振りをして
人形好きでいようとおもう。
真実なんざどうだっていいや
事実だってどっちでもいい。
わたしはそう思っているのだ。
それは
人間として・・・・なのかもしれない

映画「イノセンス」公開記念 押井守監修 「球体関節人形展」
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