イノセンス

イノセンス スタンダード版 [DVD]
先日歯を磨こうとしていたら、
ちょうどTVで、四十肩が云々という番組が放送されていた。
四十肩対策にあれやこれやと画面からあふれ出す情報に気を奪われ
やがて番組内で紹介されていた対策のための体操を体現し始める痲酔
右肩を思いっきり回すと、わたしの手首は無惨にも天袋に直撃
激痛が走る。
痛さのあまり、手を振ると壁に激突。更なる苦しみに悶絶していると
其処に妹が登場して、ぶつかる。其れをよけようとすると
先ほどの壁の激突の際、床に落下した画鋲を踏んでしまい、
再び暴れ出し、犬を踏んじまう。吠える犬。謝罪やら痛さやら。
ふと冷静に我に返り、画鋲を足から取り除き、血が溢れ気分が悪くなる
でも何故か肩を回転させるわたし。またぶつかる。
一連の動作で疲労困憊のわたしは風呂に入り床につく。
まんまと歯を磨くのを忘れる。

ここまで非道い目に遭うことはまれではあるが、それにしても
常日頃このような事件に遭遇しないのはもしかしたら運がいいのかも知れない。
ちょっとした弾みでこのような状況に陥る可能性に秘めた暮らしをしている。
わたしだけかな。でもこれに近い状態に人間は陥ることは多いのではなかろうか?
「人間なんざ突っ込みどころ満載だ」
とわたしは常々思っている。
完璧な人間などいないどころか、業の塊であろう。
眠くなったら寝るのが人間であろう。
しかし突っ込みどころが多い人間を駄目人間と呼んでる人がいる。
駄目と言う言葉がある以上、「駄目では良くない」という学習が入る余地が存在するってことであろうし、
「駄目でない」自分を取り繕おうとしている人をよく見かける。
学習という無理により、人間は駄目でない状態を作ろうとしているようだ。
確かにその学習という無理を無理にでもやらないと人類自体が駄目になり、絶滅とは行かないまでも
現代社会の文明の恩恵を受けることは出来なくなる可能性もある。
快適に暮らせなくなってしまう危険性があると云える。

しかし、重ねるが「人間は駄目であろう」と思う。
駄目なのである。たぶん
先日NHKラジヲを聞いていたら
「赤ちゃんは静かで暗い處よりも騒々しくて明るいところでのがよく寝るのです」
ととある学者さんが仰っていた。
騒がしくて明るい場所では情報が多すぎて自らシャットアウトするらしい。
学習という無理によりそれらを成長に合わせ教育し、駄目を克服させるのであろう。
しかし重ねるがそれは学習により改善されるところとそうでないところが
存在してしまうのは明白であるし、その結果痲酔のような困った奴が社会で大腕ふって生きている。
困ったものだ。

このネガティブな聞き心地の言葉「駄目」であるから
きっとほんとは駄目は厭なのであろう。
ほんとは駄目では駄目だと思っているらしい。
じゃあ駄目じゃない状態、理想像というのはなんじゃないなとなる。
ダイエット中でも大飯を平らげ、やらなくちゃまずいことをやらずに
眠ってしまい、親父が女子高生に恋に落ちちまうという状態では
ない状態にしないくてはならないと。
更に人間は自我という我が儘なモノを所有し、こいつのせいで
欲望とかそういったものが邪魔してなかなか素直じゃないときたら
素直で、駄目でない状態のものを作っちまえとなるのかね?
凄い発想だが、そうなるのかもしれない。
実際人類はその手をやっている。
文明などはその例として申し分ない。
別段そこまで発展させずとも、それほどの問題はないだろうに
人類というか科学というかその手は多大な発展を遂げてきた。
発想というのはそれほど変化してないけども
その利便性はかなり急速なピッチで発展している。
季節を感じられないほど冷暖房が此処にきわまれり、
情報なんざそんなにいらないのに、インターネットやらTVやら
メディアが発展。更に食文化なんざそんなに食える訳じゃないのに
人口を超える沢山の動植物を殺し、食する。
そして食い過ぎだ。身体に悪い、太る、じゃあジム通いだとなって
始末に悪い。
こっち側、人類からみればそれを称し、文明と決め、快適であり
利便性が高いとやっているが、
相手にしてみたら堪ったものじゃないでしょうな。
その反乱というか瓶乱というかで、狂牛病やら、鳥インフルエンザやら
が蔓延してるのだと立ち止まる人類もありまさにカオスである。

わたしにはこの映画はそういう映画だと感じられた。
このイノセンスという映画を観たわたしは
「物足りない」
と思っていた。
これこそ人間の最も悪い癖なんだよね。

http://www.innocence-movie.jp/