オールドボーイ

今現在この瞬間を生きている私は将来のことなど考えない。
どうも明日のことを考えるのが苦手な手合いのようである。
20代の頃はそのことを憂い、恥ずかしく思い過ごしてきたが、最近は治らないと諦めた。
困ることは努めてメモ書きしたりしているが、具体性など何もない。
行き当たりばったり、人生成り行き、アドリブを言い訳として生きている。
しかし突然15年間監禁されたらどうだろう。
根気強くないからその内諦めることだろうが、それまでは地獄なのかもしれない。
更に諦めた後、きっと益々明日のことなど考えない人になってしまうだろう。
モチベーションは大暴落で、日常生活も諦め、諦めまくりで、どうするんだろう?
全く甘えた考えである。浅はか極まりないから、辟易して、また考えるのを辞め
今日を生きる。ダメ人間である。さて、
蟲のカラピレポロンから、面白い漫画としてかつて紹介された。
タイトルは「オールドボーイ」と云い、韓国で映画化されるといふ。
で、公開を待ち望み、いよいよ鑑賞となった。
韓国のドラマ・映画を最近拝見しているとある特徴に気が付く。
まず主人公のキャラクターが強い(私小説的である)。
家族が絡んでくる。愛をテーマとしている。
展開がドラマチックである・・・などなど。
まあ私見だけども・・・
更にどことなく、甘い印象・・・でもこの映画は違う。
四天王の内二人が出演していたブラザーフッドという映画は主題が戦争という
痛ましいものであるのに、どことなく甘さが漂っていた。
この場合の甘さとは、浅いという意味ではない。甘ったるい雰囲気のこと。形式のことだ。内容は甘くないよ。
世を騒がす韓流ブームの火付け役「冬のソナタ」などドラマは割合その典型。
しかし、本作は甘くない。甘っちょろくない。
どちらかといえば、内容も形式も壮絶。
日本映画のような不健康さはないにしても、もの凄い。不健康さはストーリーのみだろう。
そのストーリーは日本の漫画が原作だから、なるほどである。
主人公のキャラクターが強い。家族が絡んでくる。愛をテーマとしている。
展開がドラマチックである・・・などなど。
と冒頭で書いたが、これは本作も同様である。内容は書かない。見てない人も多いだろうし。
ただ人間はどこまでも諦めていけるんだろうか?
やはり本作の主人公のように諦めきれない限界があって、
死という生命体にとって最も恐るべき事態に対処し、なおも生きていくものなのか?
勿論本能的、無意識にね。
死に対しても諦めてるってことは生に期待があるって事なんだろうか?
まあそうかもしれないね。死よりは生に期待しているから生きているのかもしれない
諦めないってことは実は根本的な生きる資本なわけだろうし、
それを人は別の呼び方で括っているんでしょう。愛とね。
http://www.oldboy-movie.jp/