刹那的演劇集団 散蓮華「Little Stories」

私が静岡で劇団と呼ぶには余りにもお粗末な団体を引き連れていた頃、
殆ど常打ち会場としていた処がマビックと名付けられた静岡市視聴覚センターのホール
そのホールは舞台が扇形で実に扱いづらかったが、
私はその幾何学的な会場に魅せられた。
劇団名もVECTORMANIAとなにやら数学的な用語で、
それほど数学に強かったわけでもないのに、数学の思想的な雰囲気に
魅せられたのは事実だが、あっちゃこっちゃと考えが飛ぶ性分故、
かじり付いて数学という風に行かなかったのはごく自然の成り行きで
自然科学にもいい加減に接したまま、現在に至る。何のこっちゃ。
さて、この度の団体は旗揚げで散蓮華という名称。
あの蓮華という匙の正式名称だという。
散蓮華っていふ匙も何だか不思議な形をしている。幾何学的だね。
結構好きで私は色んな食べ物をあれで食う。余談だが。
「Little Stories」と銘打たれたこの度の旗揚げ公演。
当然オムニバスである。私はそもそも劇団って集団の残された仕事って
祭りだと思っている。身近な極近しい間柄の皆さんを箱に入れて
楽しませるという興行的な意義が現代に残された劇団の仕事だろう。
こういった事を先駆的に取り組んできたのは演劇だと思う。
地域性を中心とした祭り行事だけではこの多種多様雑多な現代では足りない。
メディアという要素はマスコミとマスメディアの仕事だし、
俳優を育成するというのは商売で幾らでも存在するし、
劇団で、やることは其れ以外殆どないとすら思う。
一人の主となる人物の世界観に酔いしれたい祭りに参加したい連中を楽しませればそれでよしであろう。
さて、この度の“主”となる鰻家喜平治氏は我が東海大学海洋学部演劇研究会の後輩で
ベクトルマニアにも深く関わった面子。
彼が静岡で一人フリーで渡り歩いた末の一つの結論であろう。
一つの屋台骨を背負っての公演である。
更にかつて同劇研にて行われたオムニバス公演にて使われたオリジナル戯曲も
この度は使われるといふ。
メンバーも鰻家含め3名参加していたから、ここまで縁のある団体も珍しい。
ここまでは形式を紹介したが、で、内容はというとこれはまるで異質である。
痲酔ワールドとは全くかけ離れている・・・でもないか。
現在花組芝居というプロ劇団に所属する大野が静岡でやっていた劇団に近い。
しかし私は好きである。
芸が軽くて、スッキリした舞台だったし、出演者が楽しそうであった。
鰻家氏も無理せず、切り盛りしている面もちは好感が持てた。
すっきりって表現が実に如実だろう。それは素晴らしいことだ。
おいらが言うのも何だが、其処にいる人間がハッピーになれればそれでいいのだ。
http://www.geocities.jp/xchirirengex/