「黒蜥蜴」

で最後に美輪さんの「黒蜥蜴」に触れておきます。
行われたルテアトル銀座は子供の頃から京橋ですからよく自転車で通り過ぎた場所で
一度は行ってみたいなあって何だか敷居が高いイメージでした。
帝国劇場や日生劇場、国立劇場などは中学生の頃遠足で体験していましたので大丈夫
でも何故だかルテアトルは敷居が高かった自分でもよく分かりません。
29歳にして初めて足を踏み入れました。
ギリシャの野外劇場、エリザベス朝のシェークスピア劇場、オペラハウス、
19世紀の典型的なプロセニアムステージや、アリーナステージのように
舞台と客席の境がない、渾然一体の空間だそうです。
月島なりさんがいい席を取ってくださったので(中央通路後ろ。左入口すぐの角)
おお!なんとも劇場フェチにはたまらないねえ。一応おいらもジャケットなど羽織って
来たのでなんともいい気分。ホワイエでワインでも頂きましょうかね。ええ。
(実際は例の嚔のせいで珈琲を注文。)早速パンフを手に入れもう万全の体制です。
先日加納織女師より聞いた話しで、霊感が強い人によると美輪明宏さんという方は
所謂徳の高い方で、神に使われて人間界に降りてこられたのだとか・・・
まあそうじゃなくても自分が天寿まっとうするまでに一度は拝見したいお方でしたので
わくわくどきどきでございました。なんまいだあ〜なんまいだあ〜
いやいや豪華なセット豪華な衣装。確かにおいらの住んでる世界ではあり得るはずもない
世界がステエジを覆っておりました。でもね。何か思ってたのと違う。
途中、出演者の殆どが客席の闇の中から登場するシーンがありまして、その時
我々の座る席の前が丁度通路ということで前を通ったんです。はい。勿論美輪さんも
緊張しておりましたら、角に座るおいらの目の前で左に曲がりました。
その時香水のいい薫りと共にドレスの裾がおいらの足を覆ったのです。
何だか初めての感触にもかかわらず、どことなく懐かしい。
もうそっからは涙も止まらず芝居も飛んでしまいました。足先から頭のてっぺんまで
その感触は伝わり、何だか心あらわれてるような感じ。
でも何故だか別世界には感じられなかった。浮世離れしてるようには思えなかった。
妙にリアルで、とても日常的で。
立川談志さんが落語は「業の肯定」だと仰った。
志らくさんの落語会の挨拶文にもあったんですが、人生とはそんなものなのかと。
確かにおいらなんかかなり業深い人間だと思います。
徳を持った人間じゃないのでしょう。
だから落語を観ていると業を肯定され嬉しくなるかもしれません。
確かに人間は弱い。だから業を肯定する必要はある。でもそれだけじゃない様に
思うんです。家元の落語は恐らくそれだけじゃないと思うんです。少なくとも
私は其処だけ観てはいないと思います。談志さんも志らくさんも美輪さんも
もっと色々何かを見せてくれてるんです。日常ではやはり業は否定されます。
当然です。だから、落語が業を肯定してくれることをクローズアップしてるのかも
しれません。でもほんとは否定も肯定も両方あると思うんです。
落語に限らず優れたエンターテイメントにはね。

でもそれって日常の中にもあることですよね。
叱咤激励はあると思うのです。だからかな?たぶん。
だから、別世界には感じられなかった。
もの凄く近くにある世界なんだけど、なかなか其処には行けない。
そんな世界に感じられました。

痲酔がいつも書いてるネヲトキヲもそういうものです。
東京はそこにあるので、時代は移っていっても残るモノがある。
それは全然遠いモノじゃない気がする。情緒というか人間もそうだし。
気概のようなもの、別に形は関係ない。
そんなものなんじゃねえかなって感じましたね。漠然と。