シアターキューブリックver.11『エノデン・スリーナイン』中野・劇場MOMO

私は夢見心地だからか、何かに酔っているのか、
記憶が何となく常に曖昧である。
その曖昧さに頼った日記執筆とあって、読んでる人はかなり負担であろうことは何となく理解できる。
私事はさておき、いやいや私事を無くしたら一体何が残るというのか?
自問自答の日々はさておき、高校生だったか中学生だったか?のじぶん、
遠足でしばしば鎌倉を訪れた記憶がある。
かなり曖昧なのだが、何となく記憶に残っている。
私は文学少年だったので、当然憧れは鎌倉一点に絞られていたが
どうやらその遠足は江ノ電乗車がメインのものであったようだ。
江ノ電で鎌倉から江ノ島までぶらり途中下車の旅というこった。
だが無二のサザンオールスターズファンであったわけでもないし、
サーファーに憧れていたわけでも、アウトドア敵視もあったし
江ノ島にはまるで興味がなかった。
ということで、鎌倉への遠足を最重要視していたこともあり
江ノ島ってななんじゃい?てなものであった。
しかし
江ノ電には妙な感慨があったと記憶している。
江ノ電って少年の心にはちょっとしたくすぐりがある気がする。
都電よりも不思議と新しさがあるのに
ノスタルジックな雰囲気があるのかなあ?
その分析はてんで行ってないから判らないけど。
と書きながら思ったけど江ノ電ってそれ以来乗車していない。
大人になり、
マイカーで通り過ぎることはあっても、乗らなくなってしまった。
わたしにとっては青春の置き土産のような・・・
あの遠足の時、鎌倉文士を訪ね、寺社仏閣を堪能し、
江ノ電の先には海が広がっていた。
和服が似合う街から、数分で水着に着替える・・・そんな鉄道。
タイムスリップに近い様相か?
そこに文学少年のぐっとくる基準が存在していたのかもしれない。
何処か宮沢賢治の童話っぽい世界感がそこにはあったのかもしれない。
なるほど。
私は本作を拝見して、遠足の記憶となぞらえることが出来た。
明くる日少年時代の憧憬を胸に江ノ電を見に行った。
まだ乗ることは出来ない。
乗れる日は来るのかなあ。
来ても、記憶は曖昧なままで居られるかなあ。
ノスタルジックをリアルに戻す恐怖が其処にはあるのかもしれない。
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