浜田文子

▼江戸開府400年記念コラム「江戸ゲノム」(堕病原体処方箋 桟従伍號昭和七銃蜂年伍月銃御日発行 より)

 13日の朝方TVのニュースなんぞ見ていたら世には「野菜のソムリエ」と
 いう資格があるそうで。正式には「ベジタブル&フルーツマイスター」とやら
 は徐々に数を増やしているらしいです。我が妹が
  「靴にもマイスターはあるよ」
 と発言。何を隠そう我が妹は新宿高島屋にて靴屋に勤めているから、その手に
 は詳しいのです。更に妹
  「靴は独逸が主流なんだ。医学が発展してる國だからね」
 と来た。なるほど。
  独逸に限らず、欧州には我々が信じられないほど何でもこなす輩が滞在だと
 か。医者なのに飛行機に乗れたりとかそういった類が住んでいらっしゃるらし
 い。しかしその反面所謂“無筆”が存在することも事実で貧富と一緒で差が激
 しい。仏蘭西などでは、エリートがエリート意識を持っていて、其れ以外の方
 々はエリートによって生かされている感が強く、国民5割は失業だとか、いや
 はや日本人には信じがたい事実ですなあ・・・
  さて日本人。明治の世じゃ在るまいし“無筆”は恐らく存在しない。痲酔が
 浮浪者のじぶん、仲間で、「罪と罰」やら「人間失格」やら読んでる野郎が居
 たし、大抵のホームレスでも漫画は読んでいる。という事実からも明白かなあ。
 インターネットの普及もここら辺に起因するものだろうしなあ。誰でもメール
 をやってるし。誰でもは語弊があるでしょうけれど。日本人は確かに“無筆”
 じゃない。平均的な教育レベルが高いのでしょう。文字ぐらい読み書きできな
 いと莫迦にされる時代はとうに通り越して、現在や当然となりました。でも実
 の所はPCや携帯の普及でペンでペンシルで文字を書くことは少なくなった。
 それはいいけども。事実簡略化された感じが増え、横文字がどんどん普及して、
 実際文章を書けると言いがたい状況は生まれている。公文書なんぞ読めない人
 が多いし、敬語をきちんと使う必要性もない昨今。あるとすれば仕事でしょう
 ね。ビジネス文書やらってのも定型文を「あんちょこ」で仕入れたり出来るし、
 ビジネス用に改良された敬語になってると思うので、果たして本来の日本語が
 何処まで使われているか・・・己を含め疑問は残る。何をして本来とするかは
 別としまして・・・

  なんか今日は随分偉そうですなあ・・・痲酔ちゃん。まあいいか。

  実際どうか判らないが、エリート意識が生まれにくい要因になってるのも事
 実かも知れない。と前置きはここら辺にして本題です。