又聞き

基本的に又聞きは性に合わない
性に合わないと言っても、仕方ない。
これだけ情報過多なんだからやむを得ない
でも性に合わないから、ちょっと工夫する
工夫と言っても大したことはなくて
例えば又聞きした情報を自分でちゃんと確かめるとか
又聞きした情報を自分なりに分解整理し、考察するとか
そんなものだ。
鵜呑みにはしない。
別段相手を信用してないからじゃない
鵜呑みにしてろくなことがないからである。
それが自分にとってまるでどうでも良い内容であれば
どうせ忘れちまうし、その場で体の良い返事とかするかもしれない
だけど、重要であるとか、関係のある噺はそう簡単には信じない。
こちとら野次馬根性があるから、確かめる。
確かめないと、どうしようもない。

もっと絞った噺をすると
3人の仲の良い友人が居るとする。仮にA,B,Cとするか
AがBにCの行動について話す。
BにとってCとは思えないその行動をAから聞き、大変心を痛める。
Aにとってもそれは大変辛いことだったとする。
BはCを倦厭するようになり、関係は断絶される。
こういうことって良くあることだけど、
あまりにもBには基準がない気がしてしまう。
きちんと事実関係を探るのが一番正当なやり方である。
しかし心情的に出来ないというのであれば
BにとってCが友人ならば、Cの行動について整理し分析し
それでもCがその行動をとったということが理解できない
のであれば、
もしかしたらAが嘘をついているのかも知れないし、
Aの解釈が間違っているもしくはBとは違うと考えることだって出来る。
AもCも信頼しているという名目の友人ならば、
どちらも疑えないはずだし、
だとしたら、「ちょっとした行き違いが誤解を生んでるのかな?」
と考えるのが筋ではないのかね?
まあいいんだけども
ちょっと気になる
まあ人間なんて突っ込みどころ満載の生き物だから
間違いや、誤解なんざゴロゴロしてるんだ
一方ある片方の意見だけに肩入れしたり
自分と相手を比較してしまう生き物でもあるし、
国会議員だって嘘はつくんだからな・・・
ちょっと気になってしまうな。
それでいいのかね?